2011年2月28日月曜日

武士道(続)(20110228)

 新渡戸稲造『武士道』第13章は「刀」について、第14章は「女性」について述べられている。一読して思ったことは、近年の幼稚な大人のことである。大学入学式・卒業式に親が出席し、親が甘やかすから20歳をとっくに過ぎて30歳、40歳になっていても親の家に同居したがる子供のことである。これらはおかしな社会現象である。

 今ではどうだか判らないが、30年ぐらい前のアメリカでは、子供が18歳になってハイスクールを卒業するとき、男子はタキシード、女子はドレスに身をまとい、ダンスパーティに出席するという、大人になるためのある種の通過儀礼があった。また、父親は18歳の息子にボストンバッグを一つ与え、家から追い出した。今の日本で、自分の子供を厳しく、しかし深い愛情をもって教え導き、育て、自立させてゆこうという親が圧倒的多数であると言えるだろうか? 遠隔地の大学や専門学校に、自分の子供を下宿または寮生活をさせて通わせている親が、子供の要求に応じて自動車まで買い与えている親がいる。働きのない者にマイカーなど与え贅沢をさせる親ばかがいる。彼らは今その結果に苦しんでいる。

 新渡戸稲造のその本に書かれているが、武士の息子は数えの5歳になったらサムライの正装をして碁盤の上に立ち、それまでもてあそんでいた玩具の短刀の代わりに本物の刀を腰に差すという儀式があった。その儀式以降、その男子は屋敷の外に出かけるときは、その刀を腰に差していた。

勿論、外出時にはその男子に誰かがつき従って(付き添って)いた。そして、その男子が15歳になったら元服し、独りだちの行動が許されると、彼はいまやどんな時にも役にたちうる鋭利な武器を所持することに誇りを感じる。危険な武器を持つことは、一面、彼に自尊心や責任感を抱かせるのである。

昔、「刀」は「武士」としての忠誠と名誉の象徴であった。今の時代の「武士」の「役割」を担っている人びと、これまで再三言ってきた国会議員や地方議会議員、官僚、末尾に「官」がつく公務員、英語で自衛官のことをself defense official などと言わずsoldierまたはmilitary man というと思うが、そういった人びとの忠誠や名誉の象徴として、「刀」に代わるものは何だろうか? バッジや手帳、警察官なら腰のピストル、制服、制服の胸などにつける 徽章・階級章・勲章などがそれらに相当するのだろうと思う。

昔、武家の男の子なら5歳のときと15歳のとき、それぞれある種の通過儀礼があった。今の時代、それに代わるものは何だろうか? 近年の成人式には、以前のような厳粛さはなくなり、半ば何かのショーのようになっている。公的な通過儀礼がきちんと制度化されていないから、大人になりきれない大人が増え、いつまでも親にかかる無能な子供ができてしまうのである。

民主党は、「最小不幸を実現」しようという。それは今の時代の大衆に迎合した発想である。それよりは社会教育を充実させて親たちを再教育するシステムを作った方が良い。今の時代の「武士道」を確立するところに日本の再生の道があると確信する。

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