2011年2月10日木曜日

武士道(続)(20110210)

 テレビで『史上最大の作戦』という題の映画を放送していた。この映画はナチスドイツをせん滅するため、アイゼンハワーを総指揮官に米英仏連合軍300万人が、フランス海岸への上陸作戦と空挺部隊によるフランス本土降下作戦を敢行した史実を描いている。
 
 この映画には、その作戦に従事した兵士たちは自分の死を覚悟し、果敢に戦った様子が描かれている。皆「武士道」にあるような「義」のため、「勇」を鼓舞して戦った。彼らにはどのような「義」があり、彼らの「勇」とは何であっただろうか? 顧みてわが日本軍の「義」と「勇」は何であっただろうか? この点をよく考え、整理しておかないと、日本は何かのきっかけで「義」もなく命を軽んじるようなことを起こしかねないだろう。
 
 そもそも「正義の道理」といっても、その「正義」にはその立場の違いによりいろいろな「正義」があると思う。ナチスドイツはユダヤ人をこの地上から抹殺しようとした。その作業に加担したドイツ人たちは、その行為が「正しい」と信じていた。ナチスドイツはかつての神聖ローマ帝国のように、ヨーロッパ全体をドイツ帝国にしようとした。

そこには、自己中心的な優越の観念があった。ゲルマン民族は他民族を「優秀な」ドイツ民族の支配下に置くことは正しいと信じ込んでいた。しかし冷静に考えてみると、それは野生の動物たちと同じような行動である。動物たちは自らの生存と種の存続のため、「快」を求め、「不快」を避けて行動する。自らの生存と種の存続に必要な生活圏を「縄張り」して確保しようとし、自分の「縄張り」に侵入しようとするものを威嚇し、侵入してきたものと争う。争うときは普段敵対するオスたちが団結する。これとよく似ている。

片や日本は、アジアから白人を追い出し、自らが盟主となって大東亜共栄圏を作ろうとした。その端緒は豊臣秀吉の時代にあった。スペイン(当時スペイン王の支配下にあったポルトガルを含む)は、キリスト教の宣教という一見高尚な目的をかかげながらその裏でアジアを植民地にしていった。豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵させたのは、明(当時の中国)とその柵封方支配下にあった朝鮮に対するスペイン・ポルトガルの浸食を食い止めようとしたためであった。当時、一部の日本人が彼らの奴隷になっていた史実がある。

近代、アジアは白人国家の餌食になっていたことは確かである。アジアから欧米勢力を駆逐しようとした日本は戦争に負けはした。しかし、明治維新後の日本がロシアや欧米と戦ったことがきっかけで、アジア諸国は独立を果たし欧米の支配から脱することができた。日本は、明治以来の国家目標を達成することができたのである。

日本の「義」とナチスドイツの「義」は、その人道精神において根本的に違う。ナチスドイツ軍の兵士たちと日本軍の兵士たちは、「義」のため自分の命を投げ出して戦うという「勇」は同じであっても、その「義」の内容が根本的に異なっている。

日本軍の「義」が究極的に天皇への忠誠心にあるというのは一方的な見方である。日本は自存とアジア諸国を欧米支配から解放しようとする「正義の道理」があったのである。日本はアジアを自国の植民地にしてゆこうというような野心は全くなかったのである。

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