2011年2月21日月曜日

武士道(続)(20110221)

 民主党のマニフェストの内容は、誰が見ても初めて政権を取ろうとするための営業的な宣伝文句であったことは明白である。その宣伝文句を作った中心人物は何方であったか? その宣伝文句を作るとき、多分小市民的な、人生経験の少ない、物事を大局的に思考することが苦手の方々(女性議員も多かろう)の意見が、反映されていたに違いない。

 しかし、実際に政権をとってみると世の中はそう思うようには行かなかった。子供手当について考えてみると、「国家として子供の教育にもっと予算をかけなければならない」さらには「働きたい母親が働きやすいような環境にしなければならない」ということについて、誰も異論はない。そのことを達成すべき「目的」とすると、次に考えるべきことは、先ず、目的達成のための「方針」と「実施要領」を定めることである。

 その「方針」と「実施要領」は、「財政規律を守ること」及び「予算の最も能率的使用を行うこと」をコモンセンス的な「理念」として、記述されなければならない。その上で、「目的」達成のための「手段」が決定されなければならない。「目的」に対して「手段」が大きければ、それは「無駄」であり、「目的」に対して「手段」が小さければ「無理」が生じる。「目的」と「手段」が均衡してこそ、最も能率的になる。

 然るに、民主党は深く考えもせず、いきなり「手段」を掲げた。一般の大衆は、その「手段」に大きな期待を寄せた。そのようなやり方は、上述のように営業的な宣伝文句を並べ立てて、国民の関心を惹きつけるやり方である。其処には「武士道」の精神はなく、「商人根性」が有るのみである。そのようなことを主導した張本人は何方であったか?
 商人根性を持つものが政治に携わると、決して良いことはない。損得勘定をする人間に国家の命運を委ねてはならない。今こそ必要な政治家は、吉田松陰のように、「国の為に死ぬ」人間である。「武士道」の精神を持った人間である。

 ここに幕末、松下村塾で多くの志士たちを育成した吉田松陰が最期のとき、松陰自ら詠んだ辞世の歌と、処刑される7日前に詠じて郷里に送った詩を記す。松陰は取り調べに対して、自ら「(自分は)死罪に相当する」と述べ、満29歳の若さで小塚原で処刑されている。何とかして取り調べを逃れようとする某政治家の根性とは雲泥の差である。
 
辞世

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん

   吾今爲國死 死不負君親
   悠々天地事 鑑照在明神
 
  吾(われ)今 国の為に死す 死して君親に負(そむ)かず
 悠々たり天地の事 鑑照(かんしょう)明神(めいしん)に在り

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