2011年2月16日水曜日

武士道(続)(20110216)

 「武士道と商人道とは何が違うか」。このサブタイトルで新渡戸稲造は言う。「封建時代の日本の商人は仲間内で道徳律をもっていた。またそういうものがなくては、たとえ未熟な発達の程度であれ、株仲間、相場、裏判、手形、為替などのような基本的な商業制度を発達させることはできなかった。しかし、彼らの職業以外の人びととの関係においては、商人たちはその身分に与えられた世評どおりの接し方をした」と。

 ところが「正直がカネになる」、「‘正直’は‘名誉’や‘誠’につながる考え方である」ということであることを「武士」たちが理解し体得していたなら、「武士」たちの「誠」の観念は違ったものになったのではないかと新渡戸稲造は考えたようである。新渡戸稲造は「実際のところ、正直の観念は名誉と分かちがたく混合している。‘正直’のラテン語とドイツ語の語源は、‘名誉’と一致する」と言っている。正直であるということは名誉につながるのである。

 トヨタは、ブレーキ問題で社長自らアメリカ議会の公聴会に出席し、誠意ある態度で問題の解決に努力した。結局トヨタ車には一切の欠陥がなかったことが判明した。アメリカ運輸省は去る8日、プリウスなどのトヨタ車で意図しない急加速が発生した問題に対して「電子制御系に欠陥はなかった」という結論を明らかにし、運輸長官自ら自分の娘にトヨタ車を購入するように勧めたという。トヨタは名誉を回復することができたのである。

信用を得るまでには長い年月の地道な、誠実な努力の積み重ねが必要であるが、信用を失うのはたった一つの不誠実や、不正直な言動によることは間違いない。今の「武士」である政治家たちは、このことをしっかり胸に刻んで、日々努力してもらわねばならぬ。

幕末の地下浪人(先祖が郷士の株を売ったため元下級武士の身分であったが浪人となった者)・岩崎弥太郎が大成功を収めて、今の三菱財閥の基礎を築くことができたのは、岩崎弥太郎が商人道と武士道の両方の精神を持っていたからだと思う。
 
  実際、現在世界で活躍している日本の企業は、自然に武士道の「仁」「礼」「智」「信」の精神を実践しているようである。武士道の「義」と「勇」の部分は、国際関係の中で政府との調整、協同が必要である。「武士」の心である「刀」は、個々の「武士」たちにとっては権力や権限であるが、国家として見た場合、それは「軍事力」「警察力」「海上保安警備力」「消防力」などに他ならない。「武士道」は間違いなく日本再生の道である。
 
  元海上保安官・一色正春氏が初めて公の場で発言した。その会場には東京都知事・石原慎太郎氏も顔を見せていて、一色氏に「国民を代表して、敬意と感謝の気持ちを伝えたい」という趣旨の挨拶をした。尖閣諸島の中国漁船衝突問題で、当時の政府に「武士道」の精神は全く無かった! このことは真剣に反省して貰わなければならぬ。

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