2011年2月8日火曜日

武士道(続)(20110208)

 私の手元に一冊の本がある。以前このブログで引用したことがある『図説・特攻』(太平洋戦争研究会編、森山康平著、河出書房新社)という本である。この本の結びに著者は「日本軍将兵とそれをささえる日本国民は、アジアから米英の勢力を駆逐するためだけに戦っていたのではなく、‘心の米英撃滅’のために、‘利己的唯物的米英観念’(九軍神を讃える際の海軍報道官の表現)撃滅のためにも戦っていたのである」と書いている。

 今、この日本は、北は北海道から南は沖縄、その先の台湾、さらにその先のフィリッピンに至る「列島線」、それはアメリカの強大な軍事力が及ぶ、ある意味ではアメリカの「縄張り」の中にあって、平和を享受している。米英は日本の敵であったが、今や味方である。

武士道精神の一要素「知行合一」の精神のもと、日本は日本古来の精神観念を保ちながらも、米英の合理的精神を学びとり、世界に冠たる経済大国・科学技術が非常に進んだ国になった。もともと日本と欧米は価値観を共有できる部分が多かったのである。

それに引き換え、日本と大陸側諸国と昔から価値観の共有は困難である。藤原仲麻呂が宰相の地位にあったとき、一時期日本は唐の様式・制度を取り入れたことがあったが、仲麻呂の失脚とともにすぐ元に戻された。

戦後アメリカは日本人の精神を徹底的に改造しようと非常な努力をし、東条英機元首相などを無理やりナチスドイツ並みの戦争犯罪人に仕立て処刑した。しかし日本は633教育制度とかPTAとか政治制度など、日本人が取り入れた方が良いと考えたものだけを取り入れただけであった。ゼロ戦や戦艦大和を建造した日本は、一時期打ちひしがれたが蘇り、今や欧米の、特にアメリカの良きパートナーになった。

特攻隊員の犠牲は決して無駄ではなかった。私は、その本を読み、閉じるとき、思わずその本を自分の額に近づけ黙とうした。その本を読むたびに胸に迫りくるものがある。彼らは、「」のため「」をもって死んで行ったのである。

銃後の女性たちも健気であった。戦闘機を作る工場で働く若い女性たちや出撃する特攻機を見送る女性たちの写真をみるとき、私はあの頃一億国民総動員して戦ったことに思いをはせ、感動する。今の日本があるのは、皆あの方たちのお陰である。

新渡戸稲造は著書『武士道』(「知的生き方文庫」三笠書房)に、徳川御三家の一つ・水戸藩主・水戸光圀の言葉「一命を軽んずるは士の職分なれば、さして珍しからざる事にて候、血気の勇は盗賊も之を致すものなり。侍の侍たる所以は其場所を引退(しりぞ)いて忠節に成ることもあり。其場所にて討死して忠節に成る事もあり。之を死すべき時に死し、生くべき時に生くといふなり」を引用し、「武士道の教えるところは、死に値しないことのために死ぬことは‘犬死’とされた」と言っている。

正しくそのとおりである。私も含め小学校のとき戦後教育を受けたものの中には、特攻隊員が「犬死」だと言う人がいる。彼らは日本人の心を失った人たちである。特攻隊員は自爆テロリストとは全く違う。特攻隊員は「正義の道理」の為散っていった方々である。

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