2011年2月1日火曜日

武士道(続)(20110201)

 サッカーのアジア大会で日本が優勝した。延長戦の末、小柄だが動きの速い。運動量が抜群に多い長友のパスを受けて、李が華麗なボレーシュートを決めて日本は競り勝った。 李は在日4世であったが2006年に日本に帰化した人である。

 西暦663年、日本が百済を救おうと総勢41千人と船およそ800艘の軍勢を朝鮮半島に送り込んだが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗した。その後百済から非常に多くの人々が日本に引き揚げて来て、日本に帰化し、日本の発展のため貢献した。そのことを頼山陽という江戸時代の学者・詩人は、「唐(中国)とわれ(日本)とどちらが得しただろうか、海を渡って来た人びとは天皇に仕え、日本の発展に尽くしてくれたのだ」という詩『百済を復す』を作っている。(ブログ「吟詠」http://takaban.seesaa.net/ ご参照。)

 李も同様である。日本人になれば、元の国籍など全く関係がない。名前を日本人のような苗字に変えなくても、今の時代の人々はそのまま素直に受け入れている。まして、今後幾世紀も経れば、先祖が何処の国の人であろうと全く無関係、皆同じ母親から生まれた兄弟・姉妹、すなわち‘同胞’である。日本人らしい日本人になってしまうのである。

 日本チームを率いたイタリア人のザッケローニ監督は、日本の文化と武士道を学びたいと言っている。今時の日本人は武士道に興味を示さないが、外国人は武士道に興味を示している。われわれ日本人は、今改めて武士道について知る必要がある。

 かつて武家の子弟は、藩校などで中国の古典・四書五経を学んだ。さらに私塾で宋や明の時代の学問も学んだ。宋や明の時代の学問とは朱子学や陽明学のことである。

 新渡戸稲造は「武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である。」「知識は、人生における実際的な知識適用の行為と同一のものとみなされた。このソクラテス的教義は、‘知行合一’をたゆまず繰り返し説いた中国の思想家、王陽明をその最大の解説者として見出したのである」と言っている。

 かつて日本の指導層の人たちは、今の時代のような科学的知識は持っていなかったが、きちんとした志操をもっていた。その志操は、神道、仏教、中国の古典、宋や明時代の思想を学んで武士の心の中に形成されたものである。今日の政治は、「烏合の衆の政治」になっている。これは、今の政治家たちに昔の武士のような志操がないからである。

 ザッケローニ監督が「武士道について学びたい」と言っていることを、我々日本人は「ほう!」と感心するのではなく、自らを省みて深刻に受け止めなければならないと思う。

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