2011年2月3日木曜日

武士道(続)(20110203)

 日本人は、知識を行動に移し、知識の足りない部分は新しい知識を学んで自分のものにしてきた。幕末、ペリー来航時、英語を日本語に訳すことができた素養は、蘭学(オランダ語の文献による学問)にあった。先ずオランダ語と英語の違いを調べ、漢語を日本語に読み下すときの似たような手法で英語の文法を知った。ペリー来航時、英会話は出来なかったが、英語で書かれた公文書を日本語に翻訳することはできた。会話は、英語からオランダ語に訳したものを聞いて、その逆もして、幕末の役人はペリーと意思疎通ができた。

このような実践的な勉学の方法は、日本人が古来、自然のうちに身につけていたものである。江戸時代朱子学や陽明学が入ってきたが、日本人のそのような実践的勉学の態度が、新渡戸稲造が言うように「王陽明を(日本人のそのような実践的な勉学の態度を説明する)その最大の解説者として見出した」にすぎないのである。(カッコ内は私見)

日本ではウナギの稚魚を育てて成魚にして市場に出している。成魚から卵子と精子を取り出して卵から稚魚を人工で育てる試みをしているが、なかなかうまくゆかない。そこで、日本の調査研究の船は稚魚を追って、ついにマリアナ海域でウナギの卵を発見することに成功した。その方法は成長過程の稚魚を探し求め、5mm、3mm、1mmと徐々により小さいウナギの稚魚を探し続け、1mmの稚魚を見つけたのちその海域付近で6年もかけて卵を探し求め、ついにそれを発見したのである。船上でDNAを調べた結果、それがウナギの卵であることを突き止めた。その中心の学者、お名前は失念したが40年かけた研究の成果が実ったのだ。今後はその卵がどのような環境条件で稚魚になるのか突き止め、その環境を人工的に作って、日本得意の工場で生産される野菜のように、将来、工場でウナギが生産されるようになるだろう。特殊な膜を通じて海水から飲料水を製造することなど、日本の実用的な技術は世界でトップである。人工えらも日本の技術で効率の良いものが開発されている。実用の学、実践の学の発達は、日本人の生まれ持ったDNAと無関係ではない。

武士道の精神は、日本人の間で忘れられてしまっているが、日本人は無意識のうちにその精神を発現させている。中国では隋・唐から宋、元、明と王朝が変わった時、新王朝の体制強化のため新たな学問・朱子学、陽明学が利用された。今、中国は共産党綱領が体制の維持のためだけではなく、日本工作のため利用されている。

一方、日本では万世一系の天皇のもと、実践的な学問が発達した。武士道精神の中心には天皇への崇敬がある。日本人は、今改めて自分たちの精神構造を顧みる必要がある。

日本との戦争に勝ったアメリカは、日本人の精神構造を徹底的に変えようと試みたが、それは所詮無駄なことであった。一時期、「戦前の日本は悪いことをした」と思い込まされていた人びとは、徐々に第一線から退きつつある。

今後の日本人は、もっと賢く、昨日の記事に書いた「縄張り」を「維持しよう」とする側と、それを「浸食しよう」とする側とを見据え、決して中途半端な行動はしないようにしなければならない。今、正に日本人には「武士道」の精神が必要なのである。

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