2011年2月13日日曜日

武士道(続)(20110213)

 新渡戸稲造は、当時の日本が日本の文化について欧米先進国から見下されていたことを意識してか、武士道の精神についてイギリスやドイツなどの学者・知識人の名前を出し、その言を引用して武士道について説明をしている。新渡戸稲造は、著書『武士道』第五章「仁」―人の上に立つ条件とは何か―の項で、シェイクスピアとかフリードリッヒ大王を引き合いに出し、「仁」について次のように書いている。

 「プロシア王・フリードリッヒ大王(1712-1778)は‘朕は国家の第一の召使いである’と言ったが、あたかも時を同じくして日本の東北の山間部にある米沢では、出羽米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)は正に同一の宣言をしていたのだ。‘国家人民の立てたる君にして、君に立てたる国家人民には之無候’と。封建君主は自分の家臣に対しては相互的な義務を負っているとは考えなかった。しかしながら祖先や天に対しては高い責任をもっていた。」

 新渡戸稲造はまた、東西の名を残した人物、例えばアダム・スミス(1723-1790)、熊谷次郎直実(?-1208)、滝沢馬琴(1767-1848)、白河楽翁(1758-1829)、ケルナ―(1791-1813)らを引き合いに出し、「戦いの恐怖の真只中で他者への哀れみの心に貢献したのは、ヨーロッパにおいてはキリスト教であったが、日本においては音楽や書に対するたしなみがそれをなした。優しい感情を育てることが、他者の苦しみに対する思いやりの気持ちを育てる。他者の感情を尊重する謙虚、慇懃(いんぎん)さが礼の根源である。」と書いている。「仁」の心は「礼」の根源となるのである。

 新渡戸稲造は、「簡潔で、警句的な要素を盛りこみやすい日本の詩の形式は、素朴な感情を即興的にうたいあげることに特に適している。どのような教育程度の人であっても、和歌俳諧をものにすることができ、かつその愛好者たり得るのである。合戦の場に赴く武士が立ちどまり、腰から矢立をとりだして歌を詠むことは稀なことではなかった。」と言う。

 先の大戦で戦地に赴く兵士が所持することが奨励されていたものは『万葉集』であったという。作家・阿川弘之氏は広島高等学校時代に使っていた昭和13年刊行の『万葉集』を戦地に持って行ったという。

 戦後理工系大学が重要視され、政治家にも理工系大学出身者が多い。高等学校でも日本の歴史や文化に関する教育が重要視されない状況であるので、本来ならば少なくとも3年以上は教養課程で学び、日本人として必要な日本の歴史や文化について良く学ぶ時間が必要であるが、現状はそうなっていない。菅総理が「許し難き暴挙」と言ってロシアの感情的反発を招いてしまったのは残念である。日本は教育のあり方を見直す必要があると思う。
 

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