2011年2月12日土曜日

武士道(続)(20110212)

 台湾に純日本式の旅館「加賀屋」がオープンして数カ月を経た。接客係の従業員は殆ど台湾人である。彼女らは和服を着こなし、日本の「おもてなし」の心と日本式の接客マナーについて徹底的に教育・訓練を受けた。宿泊客は台湾人が圧倒的に多いという。

 この「おもてなし」の文化は、茶の湯「茶道」に発する。しかし、茶の湯が武士の間に広まる前に、茶の湯の文化の素地はすでに400年間続いた平安時代に出来あがっていた。もっとさかのぼれば万葉集の時代にその素地の元がある。

万葉集に収められている歌には作者が経験していた日常の状態が、例えば妻の死などによって崩れ、その非日常の状態にある自分の思いを歌にしたものがある。抒情といっても単なる抒情ではない。センチメンタルな歌と言えばそれまでであるが、其処には日本人独自の感じ方が見事に表現されている。たとえば、巻二、207の柿本人麻呂の歌では、人麻呂が旅先で妻の死を知らされ、どうしてよいか自分の感情の整理がつかず、「ひとりだに似てし行かねば すべをなみ妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる」と詠っている。

また、巻二、148の倭大后(やまとのおおきさき)の歌では、「青旗の 木幡(こはた)の上を 通ふとは 目には見れども 直(ただ)に逢はぬかも」と「大君(天智天皇)の魂が抜けだして山(木幡山)の上を漂っていることが目に見える」と詠っている。これは正に非日常的である。

古来、日本人は自然の風景の中に「非日常的な空間と時間」を意識してきた。「茶湯」や「生け花」の文化はその典型である。日本人の「おもてなしの心」は、その文化の中で日本独自なものとして発展してきた。

 「武士道」とその「おもてなし」の心とは、どのような関係があるだろうか? 新渡戸稲造の本にはそのとについて何も書かれていない。しかし、私は「武士道」と「おもてなしの心」の間には深い関係があると思っている。

「おもてなしの心」の根本には「一期一会」の精神があると思う。二度と巡って来ないその一瞬を大切にする心は、武士が「勇」をもって死するときに発揮される。切腹の作法も、切腹の介錯の作法も、煎じつめれば「おもてなしの心」に通じるものがあると思う。切腹ではなく斬首の刑に処される武士も、歌を作って後世に伝えることは許されている。武士として後世に名を恥じるようなことをしてはならないし、させてはならないのである。それは、死に行く武士への「おもてなしの心」でなくて何だろう? 

もし、そのような切腹の瞬間において、「装束」「場」「作法」などに見られるある種の「厳かな美しさ」を伴う「儀式」が伴わなければ、検視役の武士もその場にいる精神的苦痛に耐えられないであろう。切腹する武士も、後世に名誉を遺すことができず人生を嘆き悲しむことになるだろう。そういう意味で、私は「武士道」と「おもてなしの心」の間には、深い関係があると思うのである。

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