2011年2月20日日曜日

武士道(続)(20110220)

 人びとは、理財(財貨を有利に運用すること)の道に長けた者に憧憬と羨望と、そして軽蔑の目を向ける。数を頼みにしたい政治家は、なんとしてでも理財の道に長け、金銭の力によって自分の配下の数を増やそうと努力する。そのため有能な秘書を雇い、利用できる人物を身近に置こうとする。秘書は、自分が死んでも主人を守り通すことが要求されている。利用できる人物として選ぶ対象は、‘利用する’ため外国人であっても構わない。彼にとって、一応‘国益’を口にするが、本心は、そんなことはどうでもよい。その外国人の‘秘書’(一応‘秘書’という名目であるが、実際は自分の意のままになる‘使用人’)に、たとえ国益を損じるようなことであっても、ある‘仕事’を任せる。彼は、とにかく自分の勢力を増やすことが最大の目標である。

 そのような政治家の出現を嘆いて、新渡戸稲造は『武士道』でこう言っている。「惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか」と。明治維新は西郷隆盛が自作の詩『天意を識(し)る』で詠じたように、「貧しい家で生まれ育った英傑の士(国難のとき国の為尽くす忠義のサムライ)は、多くの苦難を乗り越えて、叙勲されるに相応しい業績を上げることができる(貧居生傑士、勲業顯多難)」のである。

 新渡戸稲造は「わが武士道は一貫して理財の道を卑しいもの、すなわち道徳的な職務や知的な職業とくらべて卑賤なものとみなしつづけてきた。このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である」と言っている。

 新渡戸稲造は「頭脳の訓練は今日では主として数学の勉強によって助けられている。だが当時は文学の解釈や道義的な議論をたたかわすことによってなされた」と言う。武士を育成する藩校等で使用されていた教材に『論語』がある。新渡戸稲造はその『論語』の一節「学んで思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」を引用して、当時の武士の子弟には、実践的な目的をもって教育が行われていたと言う。孔子の言葉のその部分は、『論語』巻一為政第二にあり、「子曰、學而不思則罔、思而不學則殆」とある。今度、東京都知事に立候補する渡邊美樹氏は、『論語』を愛読しているという。誠に素晴らしいことである。上述の政治家の精神を養った師は誰だっただろうか?

 日本では藩校、私塾、寺小屋など、公私の教育機関が発達していた。遠く聖武天皇(701-756)の御代には、奈良に東大寺と言う「総合大学」の役割を担う寺が置かれ、各地方に国分寺と国分尼寺という「高等学校」や「専門学校」のような役割も担う寺が置かれた。各地方から集まって来たおよそ1000人の人たちが、東大寺で言語学・論理学・仏教諸学のみならず工学・建築学・医学・薬学など理工系の学問を学んだ後、各地に散って人びとを教育していた。(『世界に開け華厳の花』森本公誠著、春秋社より引用)

 この国の未来は、今の時代の「武士」たちに「目覚めて」もらわないと非常に危うい!

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