2011年2月23日水曜日

武士道(続)(20110223)

 新渡戸稲造『武士道』第11章「人に勝ち、己に克つために」には、「武士(サムライ)」の心得とともに、日本人の表情、笑いの奥に隠された心情についても書かれている。冒頭、「サムライは、感情を顔に出すべからず」というサブタイトルで「武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では礼の訓練があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた」と書かれている。

 新渡戸稲造は「(日清戦争で)ある連隊が出征するとき、連隊長や兵士たちに別れを告げるべく大勢の人が駅頭に集まってきた。そのとき、一人のアメリカ人が、さぞや別れの情景は騒々しいものだろうと予想していて、そこに見物に出かけてきた。・・(中略)・・だが、アメリカ人は期待はずれにがっかりしてしまった。その理由は、発車の合図の汽笛が鳴り、列車が動きはじめると、数千の人びとが静かに脱帽し、うやうやしく頭を垂れて別れの挨拶をしたからである。ハンカチは振られず、言葉も発せられなかった。注意深く耳を澄ましていた人だけが、数人の押し殺したようなすすり泣きの声をようやく聞けたという有様であった。」と、日本人の感情表現の有り様を説明している。

 先日横浜そごうの前で展示されていた一枚の写真を見た。それは、滑走路上を滑走している特攻機に搭乗しているわが息子を見送っている一人の父親の後ろ姿の写真であった。その父親は、これから死に行くわが息子を見送りながら、心中とどめなく悲しくもあり、その一方で「国の為しっかりやれ、みっともないことはするな」と願っていたに違いない。

 アメリカのダニエル・イノウエ上院議員は、ヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦い、非常に多くの戦死者を出しながらも「アメリカ史上最強の陸軍」と称賛された日系442連隊の勇士であった。彼自身、戦闘で自分の右腕を失っている。彼が出征するとき、一世の父親は、「いいか、何をしようとも、決して家族と、お前の祖国アメリカに不名誉をもたらすようなことはしないように。この国は私たちによくしてくれた。だから、死ななければならないのなら、名誉ある死を遂げるように」(『歴史通』2010 11月号引用)と言ったという。

 今の時代、日本人のアメリカナイズされたものの考え方や行動について、良い面は沢山あると思う。しかし、日本人は日本人である。感情の表現の仕方は変わっても、その中身まで変えてはならないと思う。日本人は、「武士道精神」を今の時代に合った形でものの考え方や行動の中心に据えることが、今求められているのである。

 上述引用本に『日韓がタブーにする半島の歴史』と題して、室谷克己氏が寄稿している。その冒頭に「民主党の幹事長だった小沢一郎氏が200912月に韓国を訪問したさいに、当地の大学で講演し、‘天皇家の出自は朝鮮半島南部、今の韓国だ’といって喝采を浴びた」とある。桓武天皇のご生母の出自が朝鮮半島であったことは間違いないが、神武天皇以来男系一系である皇統の出自が朝鮮半島にあるという小沢氏の見識には、心ある日本国民誰もが大きな憤りを覚えるであろう。彼には「武士道精神」のかけらも感じられない。

0 件のコメント: