2012年2月22日水曜日


日教組先生の教育はどんなものなのか良く知らないが・・・(20120222)

小中学校教育において、フェアな競争はあってしかるべきである。
例えば運動会の徒競走において、速くゴールに入った者も、びりけつも皆同じ賞というのはおかしい。学期末試験で上位数十名の科目別の得点数を発表しないというのもおかしい。何か良いことをした子どもを褒めないのもおかしい。

国民性であろうが、日本ではボランティア活動団体を皆の前でほめたたえるようなイベントがないというのはちょっと淋しい気持ちがする。現状ではマスコミがスポット的に取り上げてテレビなどで報道しているだけで、マスコミに取り上げられなかったボランティア団体は「褒メラレモセズ苦ニモサレズニ」で終わりである。
横並びでものごとを考えるのは日本人の美徳でもあり、また欠点でもある。

勉強ができない子供でも何か一つぐらいは他の子供よりも優れているところがある。そこを皆の前で褒めて、その子供に自信をもたせるようにすればよい。
「皆同じ」で育ってきた教師に指導される子供たちは、将来どういうふうになるのだろうか? 

弱い立場にある者へは慈愛の手を差し延べればよい。生きて行く力を補助してあげればよい。「弱者救済」という聞こえの良い言葉に騙されてはならない。
何でも彼でも平等というのは、結局不平等であり、何でも彼でも公平というのは、結局不公平である。

男の子を持つ親は、自分の子供が、意志が強く体が丈夫でありさえすれば、大人になっても生きて行けると考え、無理やり「勉強せよ」など言わぬ方が良い。
親が出来ることは、子供に、「良い環境」と「良い刺激」を与えることであって、勉強したくない子供に無理やり勉強させようとするのは大変間違っている。
「芸は身を助ける」諺の通り、先ずは一人で生きて行ける能力を身に付けさせることが肝要だと思う。みそもくそも大学に行かせる必要は全くない。
「可愛い子供には旅をさせよ」という。子供が一人で旅に出る力を与えるのも親の仕事です。孟子の母は孟子のために三度学校を変えたという。

親は自分の子供に、一人で生きて行く力を身に付けさせることが第一の目標であるべきある。そのようにして子供が18歳になったとき、ぽんとボストンバッグ1個を投げ与え、家から出て行かせる。但し、最初に必要な最低限のことはしてやる。
例えば、テレビ・パソコン・冷蔵庫・洗濯機などの必要最小限の家具や権利金・敷金・初度経費を与えることなど。そのお金は子供がお年玉などで貰ったお金を貯めたものを主な原資とする。子供が貰ったお年玉はその場で子供に与えてはならない。貯めて後で「役に立つ」ように与えれば良い。

大学の入試や卒業式に親が付いて行くなど、とんでもないことである。近年そんな親が余りにも多すぎる。子供はいつまでたっても自立できない。
娘と母親が姉妹のような関係にあるのをときどき見かけるが、その娘は決して良い母親にはなれぬだろう。

高学歴でも自ら問題を見つけ出して、それを上司・同僚・部下・関連業者、要するに自分が真ん中に居て、自分がゆっくり回れば、皆一緒に回るようになって、その問題を解決することができるようにできないような者は、結局世の中の為にはならない。
若い時代に大きな問題を見つけ出して、それに取り組み、成果を出すことができないような者は、後になっても大きな問題に取り組むことができない。

今の日本の病根は、戦後生まれの親が、本当の親に成りきれていないことに根本原因がある。それはちょっとひどすぎる観方かもしれぬが・・。