2012年9月10日月曜日


日韓関係の改善のために(21)「維新八策」(20120910)

 大阪維新の会が党名を定め、政党として旗揚げした。当面は別として、将来誰が党首になるのかが今後の政界再編の鍵になるだろう。関係者は天命に従って無心で行動すればよい。決して私利私欲があってはならない。まして、そういう人はいないと思うが、もし父系の祖が韓国籍で日本に帰化した人である場合は、現在の韓国社会にあるような「孝を最優先とする」価値観を、完全に捨てて貰わなければならぬ。

 内閣総理大臣になる人の資質・条件の一つとしてその人の夫人の資質が挙げられる。オバマ大統領の夫人やクリントン元大統領の夫人のように、国家にとって非常に重要な役割を担える人であれば問題ない。しかし、夫人がただマスコミの注目を集めるだけの存在である場合は大いに問題がある。アメリカの場合は、大統領候補になった段階で、その人の夫人も表面に出て皆に自分が大統領夫人としてやって行けるかどうかアッピールしている。

李氏朝鮮の場合、大院君が「外戚の専横を招く気遣いはない」と判断した閔妃が、結局は韓国を「自主の邦」にする道を絶ってしまった。今の時代、内閣総理大臣になる人の夫人がFacebookTwitterBlogなどインターネットの社会の中で影響を及ぼし、或いは影響を受けるような人物であれば国政も危うくなる。そういうことが起きないように事前に審査をする制度が必要である。ある人が内閣総理大臣候補として絞られてきた段階で、国会に設けられる特別委員会のようなところで、その人が内閣総理大臣として問題がないかどうか、事前に審査されるような仕組みが是非必要である。引き続き呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より括弧(“”)で引用する。

 “彼らにとっては、閔氏という一個の父系血縁集団としての宗族の繁栄だけが目指すべき「人間の道」だった。・・(中略)・・自分の宗族の繁栄に尽くすことこそが最大の徳目、祖先への孝だったからである。この孝を最優先とする価値観は、現代韓国にあってもなお基本的なものであり続けている。

 閔氏一派が大君院への対抗勢力として台頭することになったきっかけは、閔妃の産んだ子が亡くなり、高宗が宮廷の女官に生ませた子を、大君院が世子(後嗣の王子)に指名したことにあった。これによって閔氏一族は、大君院の排斥へと積極的に動き出したのである。閔氏一派は、大院君の専制的な強圧政治に批判的な見解を持つある有力な儒学者に、その政治を激しく非難させ、それに反大院君派の勢力を同調させていった。・・(中略)・・轟轟たる大院君非難の声が沸騰していったのである。そこには、高宗もすでに二二歳になっているのだから、父王は政権を退き、国王親政とすべきだ、という理由も付け加えられていた。・・(中略)・・政争の勝利者が前政権を否定して新たな政権を打ち立てる。その繰り返しが李朝の政治的な伝統だった。そのため、どうしても前代の成果を継続して発展させることが困難になってしまう。この伝統は、その後も変わることなく続いて現在に至っている。”(続く)