2012年9月3日月曜日


日韓関係の改善のために(14)(20120903)

 今のシナ(中国)東北部はかつて女真族が中心種族である満洲と呼ばれていた地域である。其処は、以前は清朝を築いた女真族とは容貌は似ているが言語が異なる扶余族が支配する国家があった。その国家の王族が現在のシナ(中国)の北東地方から朝鮮半島北中部に高句麗(こうくり)という国を築いた。高句麗は紀元前37年から西暦668年まで存続し、最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土としていた。

 高句麗は598年から613年まで四度も漢族の国家から侵略を受けたが撃退し、最後には日本が唐・新羅連合軍と白村江で戦って敗れた663年を契機に、668唐・新羅に投降した。その後新羅が朝鮮半島全土を支配したので高句麗は消滅した。旧高句麗北部の高句麗遺民は唐によって営州(現在の遼寧省朝陽市)へ強制移住させられた。

旧高句麗に残っていた一部の遺民は粟末靺鞨の建国した渤海国に参加して、727年渤海使節来訪時、聖武天皇に「旧高句麗を復活させた」旨報告している。一部の遺民は新羅(旧百済地区を含む)に流れ朝鮮族に同化し、一部の遺民は日本にもやってきている。現在の埼玉県日高市・飯能市にあった武蔵国高麗郡は高句麗の遺民たちが住んだ地域であり、其処に高麗王若光を祭る高麗神社がある。その他、現在の山梨県巨摩地域、東京都狛江市周辺、大阪府東部・東大阪市周辺にあった河内国大県郡巨麻郷・若江郡巨麻郷、京都府南部にあった山城国相楽郡大狛郷・下狛郷に、高句麗(高麗)が関係する地名が残っている。

今、北朝鮮北部日本海側でロシアに接する場所にはシナ(中国)が50年租借で建設した羅津港があり、其処からは日本海を渡って佐渡や新潟に容易にやって来ることができる。シナ(中国)はその新潟に常識では考えられない規模の総領事館を建設しようとしている。

一方で北朝鮮南部の開城市郊外にある経済特別区・開城工業団地では韓国企業の工場が操業されているが、其処にシナ(中国)が入り込もうとしている。また北朝鮮に隣接するシナ(中国)東北部(旧満州)の吉林省にあるシナ(中国)の工場には、北朝鮮から多数の女工たちが派遣され働いている。その工場内では漢語の使用が義務付けられている。北朝鮮の女工たちは必然的に漢語を話すようになっている。

歴史は繰り返す。いずれ遠くない将来、シナ(中国)は朝鮮半島全域を勢力圏内に納め、友好親善の美名のもとに日本も勢力圏内に納めようとするだろう。竹島はシナ(中国)にとって囲碁の碁盤上の一手にすぎない。829日朝刊の読売新聞11面「論点」に元海将・自衛艦隊司令官の香田洋二氏が尖閣諸島の防衛に関し「中国軍の実力行使想定」を寄稿している。歴史に学ばず、政道を軽んじ商道を重んじる為政者はこの日本国を滅ぼすだろう。