2012年9月19日水曜日


日韓関係の改善のために(30)「日本は隣国の振る舞いに迷惑している(20120919)

性格は変わらないが、その行動は変えられる。気性が激しく攻撃的な性格の人でも普段の生活においては全く温和で紳士的に振る舞うことができている場合、その人の性格は変っていないが普段の行動が変わっているのである。しかし性格は変わっていないから何かの拍子に、何かの刺激により、その性格が表れる。

国家も人と全く同じである。国家の性格は変わることはないが、その国家の行動は状況に応じて変わる。国際ルールを平気で無視することがある国は、国際社会から非難されて一時的に自重することはあっても、自国に不利益なときは平気で国際ルールを無視する。その代表がシナ(中国)であり、韓国である。見方によっては国際社会の生存競争で生きのびるため、なりふり構わず行動しているということができる。しかし、「生きのびる」のは国家なのか国家の指導者層なのか、という問題がある。シナ(中国)の場合、国家を指導している共産党指導部が生きのびようとしている。勿論それによってシナ(中国)国民も生きのびることができるだろう。但し貧富の格差に怒っている階層の不満のはけ口を日本向けさせるという方法によって国家を統治するという生きのび方である。韓国の場合も大統領が変わるたびに大統領の親戚・縁者が生きのびる方法の中に竹島不法占拠や所謂従軍慰安婦問題がある。日本にとってこの上ない迷惑なことである。

日本はそのような性格の国と隣り合わせである。そのような隣国が好きでも嫌いでも、日本はそのような隣国と今後も長く付き合って行かなければならない。付き合いにおいて最も重要なことは国家の「性格」である。日本人は「世界は一家、人類は皆兄弟姉妹」という意識があるから、個々の人と人との付き合いの目線でシナ(中国)や韓国を見てしまいがちである。しかし、日本人は「国家にも性格がある」「国家は利己的である」「国家と国民とは別物である」という厳しい見方をするべきである。国家観に乏しい政治家はそのような見方がなかなかできない。東アジア共同体構想に魅力を感じている国会議員や中央官庁の官僚はそのような類の人たちである。彼らには国家観が乏しい。これは戦後教育のせいである。

明治時代の政治家や官僚は、強烈な国家観を持っていた。だから国家存亡の危険を冒してまでも大国ロシアと戦った。大東亜解放戦争ではアメリカやイギリスとも戦った。日本は大東亜解放戦争には敗れはしたが、大東亜の解放には成功した。日本はアメリカという国の力に屈服したが「参った!」と言って降参しただけであり、戦いに敗れた後は徹底的にアメリカに学んだ。そしていろいろな分野でアメリカに勝る能力を身に付けた。これは侍・日本が「参った!」と降参したから出来たことである。アメリカと殴り合い・取っ組み合いの大喧嘩をしたが、今や日本とアメリカは「性格が合う」友人同士である。同じことが日本とシナ(中国)や韓国との間でできるか?否・「No」である。できるようになるまでには、相当長い時間が必要である。しかし、性格が合わぬ者同士でも、表向き仲良く付き合うことはできる。それには力が必要である。力にはいろいろある。その力は工夫と努力次第で強大にすることができる。自分の力が見くびられていると相手から敬意を表してもらえない。これは自然の摂理である。日本は民主党政権になって、相手から徹底的に見くびられてしまった。しかし、今にその状態は無くなるだろう。シナ(中国)よ、韓国よ、日本を見くびってはならぬ。後で必ずほぞをかむことになるだろう。