2012年9月17日月曜日


日韓関係の改善のために(28)「日本民族という自らを知る(20120917)

 わが大和民族は、古くは8~9万年前、新しくは1万数千年前にこの日本列島に安住の地を得た縄文人と、後に長江中流域から漢族の圧迫を逃れて遼東半島から黄海を渡り朝鮮半島南部経由で北九州にやってきた人々及び長江河口から直接沖縄・南九州に渡って来た人々、つまり渡来系弥生人とが混血して形成された古墳時代人を基層としている。

その後朝鮮半島を支配していたシナ(中国)の後漢が滅亡した219年前後に朝鮮半島から日本に渡って来た何万人という規模の漢人や韓人、その後百済が滅亡した663年以降日本に渡って来た何千人という規模の百済人(韓人)、高句麗が滅亡した668年以降日本に渡って来た数百人以上と考えられる高句麗人(扶余人)がいた。また、朝鮮半島内の戦乱を逃れて日本に渡って来た数千人という規模の新羅人(韓人)がいた。これらの人々が集中して住んだ土地は高麗・高麗神社・巨摩・狛江・新座などの地名として残っている。歴史書『日本書紀』はそれら渡来して来た人々のことを記録として伝えている。

その他、終戦時外務大臣だった東郷重徳のように秀吉の朝鮮出兵時薩摩の島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫もいる。当時の朝鮮人陶工たちは日本で自らの人生を切り開くためやってきて、薩摩では上士・郷士の地位と生活の保障を与えられていた。万世一系の天皇家の中で天皇のご生母が朝鮮半島に出自があるという事実は『日本書紀』に書かれている。応神天皇のご生母の神功皇后のご先祖は新羅の王だったし、桓武天皇のご生母は百済王族の末裔の出だった。渡来・帰化人の子孫は幕末までの2000年の間に混血・同化して、皆完全な日本人になっていた。われわれ日本民族はこのような集団であった。

大東亜解放戦争後日本国籍がなくなりそのまま日本に残った韓国・北朝鮮の人々や、戦前・戦後不法に日本に渡ってきて在留した韓国・北朝鮮の人々がいた。その人口は64万人以上100万人以下であった。その後それらの人々は日本人との結婚などにより日本に同化・帰化して減少し、現在特別永住者は約39万人残っている。在日外国人登録者数でいえば、現在韓国・北朝鮮国籍の人が約54万人、シナ(中国)籍の人が約67万人いる。その他、世界各地から日本にやってきて日本人になっている人々が多い。縄文人・渡来系弥生人を基層集団とし、万世一系の天皇を民族統合の柱として頂く日本民族は、混血に混血を重ねることにより、益々多様性に富む集団となってきている。これが日本民族の優秀さ・生存力の強さの根源である。

アジアで最も早かった日本の文明開化はそういった日本民族の強さがもたらしたものであった。しかし李氏朝鮮や満州族支配の清朝はそういうことができなかった。日本は李氏朝鮮や清国を旧弊から解放し、欧米列強の餌食になっていた東南アジア諸国を解放するため先頭になって行動したのである。決して侵略戦争をしたのではないのである。