2013年2月15日金曜日


グアム島での日本人旅行者殺傷事件に思う(20130215

 大東亜解放戦争中日本軍がグアム島を占領したのは昭和16年(1941年)129日朝のことであった。日本軍の戦死者数は1名、アメリカ軍は36名(一説では50名)であった。日本軍はその後グアム島に日本本土防衛のため2万名の守備隊を配置していた。昭和19年(1944年)721日朝アメリカ軍はグアム島奪還の作戦を行った。その結果日本軍守備隊の18千名が戦死した。アメリカ軍も3000名が戦死した。

 そのグアムで結婚式に出席する為グアムに旅行していた日本人女性2名が暴漢による無差別殺傷事件に巻き込まれ死亡した。犯人は警察の調べに対し「できるだけ大勢傷つけたかった」と語ったという。犯人デソト容疑者は精神に異常を来していたようである。彼の精神は戦死者たちの御霊に支配されていたのかもしれない。グアム島で戦死した兵士たちの怨みの気持ちがデソト容疑者の心に乗り移ってその事件を起こしたのではないだろうか?その島で命を落とした日本とアメリカの兵士の霊たちはその島で戦死した自分たちのことに思いを致さずただ観光を楽しむだけの日本人を快く思っていないのかもしれない。

 今の平和と繁栄は兵士として戦場で戦い命を落とした人々のお蔭である。そのことを特に日本人は忘れているのではないだろうか?このブログで昨日書いたように沖縄西方海域に特別攻撃で突入するため帰還を期さない旅立ちをした戦艦「大和」の甲板上で整列していた乗組員たちは「本作戦は特別攻撃作戦である」と告げられた。乗組員たちはしばらく沈黙していた。そして「よしやってやろう」「戦艦武蔵の仇を取ろう」と気持ちを高揚させ国歌「君が代」を斉唱し、万歳三唱をした。その後それぞれ故郷に向かってかぶっていた帽子を振り、愛する人たちや故郷に別れを告げた。日本が今日あるのはそういう方々の尊い自己犠牲のお蔭である。日本人は戦後の間違った教育のためそういう方々が「アジア諸国を侵略した」などと教え込まれた結果、そういう方々に対して敬意を表していない。

 地上の生物の中でただ人間だけが「意識」を持っている。「意識」は遠い過去から遠い未来まで「延伸」させることができる。
 仏教は前世や来世の存在について証明しようとすることを禁じているがその存在を否定はしていない。すべての日本人が仏教の智慧を学び、先祖・先人たちを敬い、日々を敬虔な気持ちで送るようになれば、日本人は平和な島グアムであのような事件に巻き込まれずにすんだかもしれない。よく「罰(ばち)が当たる」と言うことがあるがその「罰(ばち)」は本人だけに当たるのではない。その本人の身近な人が犠牲になったりするものである。人間はそれをブッダが人々を救うための方便としてお示しになったことであると受け止めなければならない。今を生きる日本人は国の為に力を尽くした先人たちを敬う気持ちを決して失ってはならないのである。