2013年2月22日金曜日


原点に立ち戻って日本人の精神を取り戻さなければならない(20130222

 昭和記念公園にはまだ整備中であったが「こもれびの里」という一画がある。ある一つの建物の中には昭和10年(1935年)当時のある農家の様子を紹介する写真パネルが掲示されていた。その一家は子沢山である。決して豊かそうな一家ではないが家族はみな明るい顔をしている。その写真をみてふと思った。人の一生は限りがある。しかしその一生の間一生懸命に生き家族の幸せを願い子孫が栄えることを願って生きている。その積み重ねが現在にある。今の人たちは生まれた時から豊かな恵まれた環境にある。しかし昔は子沢山であっても伝染病で死亡する子供が多かった。昭和記念公園ではその「こもれびの里」で昭和の時代のある農家の情景を再現するように計画を進めているようである。ある建物の中には昭和15年頃の立川駅の前の風景を移した写真が展示されていた。立川の駅前を行き来する人々の中に軍人たちの姿が写っている。その人たちの殆どはもう他界していることだろう。戦死した人たちも多かったことだろう。皆自分がこの世を去った後に残る家族や自分が愛した人たちのことを思いながら死んでいったことだろう。

 総数四五一六首の歌が収められている『万葉集』に大伴家持が敢えて収録した「防人の歌」がある。「防人の歌」は巻十四に五首、巻二十に「天平勝宝七歳乙未(いつび)の二月に相変わりて筑紫(つくし)に遣わさるる諸国の防人(さきもり)等の歌」と題して九十三首が出ている。天平勝宝七歳は西暦で755年、今から1258年前のことである。幾つか目に止まった歌を挙げると巻十四の三五七一番の歌「己妻(おのづま)を 人の里に置き おほほしく 見つつぞ来ぬる 此の道の間(あいた)」、四三二二番の歌「我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影(かご)さへ見えて よに忘られず」、四三二七番「我が妻も 画に描(か)き取らむ 暇(いつま)もが 旅行くあれは 見つつ偲はむ」、四三四三番「我ろ旅は 旅と思(おめ)ほど 家(いひ)にして 子持(め)ち痩すらむ 我が妻(み)かなしも」、四三五六「我が母の 袖もち撫でて 我が故(から)に 泣きし心を 忘らえぬかも」などがある。

 日本には世界に誇ることができる歌集『万葉集』や小説『源氏物語』などがある。日本が大東亜解放戦争においてアメリカとの戦に敗れたあと、アメリカによって憲法を押し付けられ、教育勅語を廃止させられ、それまでの日本の「歴史観」を失わせられた。若い人たちは日本の歴史や文化を知らずに社会に出た。そういう人たちが結婚し子供を授かった。日本人として確固たる精神を身に付けぬまま自分の子供を育てる立場になった。

 教育の危機が叫ばれている。「教育」は「教」と「育」の二字からなる。「教」には強制の響きがある。「育」には指導の響きがある。「教育」と「指導」は根本的に違うのであるが両者を混同して「指導」は「教」だと勘違いしている向きがある。「上から目線」である。そうではなくて先ずは「環境」を整え「刺激」を与えて自ら「学ぶ」ように仕向けるべきである。その「環境」の原点は大東亜解放戦争終結前までの日本人の精神にある。