2013年2月17日日曜日


仏教経典には幸せへの方法が説かれている(20130217

 このところ寒い日が続いている。ロシアでは隕石が落下し大きな被害がでた。その隕石の威力は広島に落とされた原子爆弾の30倍という。災害は何時起きるかわからない。天のみぞ知るである。運の良い人は災害に遇わず死ぬこともないということだろうか?運命とは何なのか?宝くじを買っていたある老人はその宝くじの抽選前に死んだ。死ぬ間際縁に無意識の条状態で「1千万円当たった」と言ったそうである。枕元にいた子供たちはその言葉をまともに受けとめていなかった。ところが実際に1億円が当たっていた。それはその老人から子供たちへのプレゼントとなった。多くの患者の死を看取ってきたある医師は余命幾ばくもないと判断されていた患者が命を長らえ、一方で必ず快癒すると判断されていた患者が病状を悪化させ死亡したという事例を他沢山経験し、臨死体験をした患者が光を見たという話を何度も聞いているという。

 人間は「真」なるもの・「善」なるもの・「美」なるものを追及してやまない。その追及の結果科学が発達する。道徳が高められ法律が整備される。芸術が盛んになる。結果として人々の生活や文化が向上する。再生医療技術やロボット技術はサイボーグ人間を誕生させている。科学者たちは巨費を投じて人間の頭脳と同じような人工頭脳を作ろうとしている。人間そっくりの表情や動作をするロボットは既に完成している。しかし人間は神を超えることは決してできないだろう。

 人間は結局は神を超えるとことはできないのだということを確信しながら「真」「善」「美」を求め続けることが重要である。物事が起きる原因は必ずある。地獄も極楽もこの世にある。生まれたばかりの赤ちゃんは生まれる前からその親の人生とは無縁ではない。生まれた後も同様である。悪事がばれないと思って悪事を働けば必ずその報いを受ける。

 求めることばかり多く与えることが少ない人はその後必ずその報いを受ける。与えることが多く求めることが少ない人はその後必ず報いを受ける。前者は地獄に落ちその縁者も地獄に落ちるが後者は極楽に生きその縁者も極楽に生きる。そういう事例は沢山あるがそれを知ろうとしない人は多い。良寛は「欲無(ければ一切)足り、求むる有)れば万事窮す」と詠った。幸せはそういう心掛けの人に訪れるものである。

 「あんな良い人が」とその人に訪れた突然の不幸に絶句する。しかしそれは人々に何かを気づかせるものである。それが判るとその人の不幸は決して無駄ではない。自分に訪れるかもしれない不運を嘆く必要はない。従容としてその運命を受け入れる心構えが出来ている人は幸福である。「ブッダは方便をもって人々を教化する」とお経には書かれている。