2013年2月25日月曜日


神社がある国・言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国(20130225

萬葉集巻五の八九四に山上憶良が「神代より 言い伝(つ)て来(く)らく そらみつ大和の国は 皇神(すめかみ)の厳(いつく)しき国 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり(後略)」と詠っている。我が日本国は古来「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」である。日本人は神社に詣で神主から祝詞をあげてもらいとお祓いを受けて安心を得る。神主から神様に申し上げてもらうときその発する言葉には黧・魂が宿っていると信じられている。そういう文化がある国は世界中何処にもない。

この文化は日本と言う国が続く限り子子孫孫の末代まで、国歌『君が代』にあるように「千代にやちよに さざれ石の巌(いはほ)となりて 苔(こけ)のむす」まで続くことだろう。ちなみに日本の国歌の歌詞は『古今和歌集』巻第七「賀(がの)(うた)」の343番の歌に「題しらず」「読人しらず」として収められている歌と殆ど同じである。古今和歌集にある「わが君は」が「君が代」に入れ替わっているだけである。

ちなみに「君」は天皇ではない。天皇は「大君(おおきみ)」である。萬葉集の「防人の歌」には巻十四の「防人の歌」の中に問答として三五六七「置きて行かば 妹はまかなし 持ちて行く あづさの弓の 弓束(ゆづか)にもがな」と防人として出征する夫が歌ったとき、三五六八「おくれ居て 恋ひは苦しも 朝狩の 君が弓にも ならましものを」と妻が応えた歌がある。一方で巻二十の「防人等の歌」には「大君の命恐(かしこ)み」という言葉に始る歌が各所に出ている。左翼思想の人たちが国歌『君が代』の「君」を天皇のことだとして国歌にも国旗「日章旗」にも敬意を表さないのは正しい教育を受けていないことから生じる誤解から来ているのか、それとも日本をシナに売り渡したいと考えているのか、そのいずれかである。もし後者であるならばそういう人たちは日本から出て行ってもらわねばならぬ。

神主が祝詞を奏上するとき最後に「かしこみかしこみもうす」と言う。この部分は祝詞集に「恐美恐美毛申壽」と書かれている。「おそれみおそれみもうす」とも言うらしい。「恐」の文字の古訓では「かしこむ」というものがある。古代の日本では朝廷が祭儀を行うときそれまでの習慣に則りそのような祝詞を上げていたのである。

ある会合である人が「日本人は大陸方面から来た」と言った。彼は原日本人の基層集団が縄文人であり今の日本人は縄文人と渡来系弥生人との混血であることを知らなかった。甚だしいのは某大物政治家がソウルの大学で「天皇の先祖は朝鮮半島からやってきた」と語ったことである。これは文化勲章を受けた東京大学の歴史学者江上波夫の「騎馬民族説」による影響が大きい。

大まかに観てシナ人は漢族中心の顔つきをしている。韓国人は朝鮮族中心の顔つきをしている。それに対して日本人の顔つきは捕えがたいのではないだろうか。日本人は単一民族といいながら非常に多様である。この多様性は大和政権が誕生して以来渡来帰化人が増えたためだろう。日本への帰化人は大東亜解放戦争後急に増えた。そうなると日本の文化を守るため日本が「言霊の幸はふ国」であることが一層重要である。万世一系の皇統を守り、国旗・国歌に対する敬意を厚くし、子供たちに「教育勅語」と「武士道」を教え込むことが重要である。これは決して反動ではない。日本が本来あるべき姿・形に戻るだけである。「振り子の玉」が中心に戻るだけである。(関連:2013223日土曜日『社会の動きは時間とともに移動する振り子のようなものである(20130223)』)