2013年2月3日日曜日


「日々是(死)支度」と言うと穏やかに聞こえないが・・・(20130203

 シニアには映画館の入場料が1000円だというのでクレティセゾンカードを作って何度か映画館に通ったことがあった。カードは一、二回しか使ったことがなかった。最近は映画に興味がなくなってここ数年映画館には行っていない。映画というものは所詮創作された映像である。映画館に入って2時間ほどその創作された映像の世界に自分を置いて、感動したり、歴史ものだと「あの時代多分あのような光景であっただろう」と想像したりして結局は人生のある短い時間を楽しんでいるのである。その楽しみを必要としなくなったら映画に興味を失った。ただし、ドキュメンタリーとか記録映画には大いに興味がある。

 カード会社から新しいカードが送られてきた。約款をみるとそのカードを持っているだけで年会費を払わなければならない旨書かれている。多分1000円ぐらいだと思うが、自動的に銀行から引き落とされているだろう。今後使うことがないカードについてはたとえ新しいものが送られてきたとしてもその時点で解約しておく方がよい。一年以内に解約すればよいのでそれまで手続きをしないでおこうなどと欲心を起こすと忘れてしまっていて、また新しいカードが送られてきて無駄な出費をしなければならないことになる。「日々是(死)支度」とはそういう無駄な出費をしないための身辺整理を含む。一日一度、少しづつでも身辺整理をしておくと身の回りには余計なものが無く、したがって余計な物があるために生じる煩わしいこともなくて済む。

 まだ捨てていないものがあった。それは古いコンピューターである。そのコンピューターを買ったときはまだその価格が高かった。コンピューターは年々性能が良い物が出る。コンピューターを良く使う者にとって性能が悪いコンピューターを使うと動作が遅く、操作性も悪いためいらいらする。そうなるとつい新しい物を欲しくなる。そのようにしてこれまで合計すると結構なお金をコンピューターに注ぎ込んでしまっている。古いコンピューターのハードディスクスクには外に出したくない情報が詰まっている。一方コンピューターには貴重な希少金属が使われている。そういうことがあって何台もの古いコンピューターが戸棚の奥に重ねられて保管されている。これは今年内に上手に処分しなければならない。おそらくそういう状況にある人たちがこの日本国内に非常に多く居ると思われる。

 「日々是(死)支度」と言うと人には穏やかには聞こえないだろう。早かれ遅かれ誰にでも自然に訪れる「自分の死」のことを余り考えたくないと思うのが一般の人々の心情である。しかし日々そのことを直視しながら時を過ごすことは非常に大切なことである。自分の手相を見ると生命線が非常に強く手の根本までくっきりと伸びている。この分だと事故にでも遭わない限り100歳以上まで生存している可能性がある。身辺整理とともに身体機能の低下に備えた補助具の使用の準備もしておかなければならない。