2013年2月7日木曜日


急に英語を学ぶ意欲が湧いて来た(20130207

 男は放送大学に再入学し自然系のコースに籍を置いてもう3年以上経っているが何一つとして単位を取っていない。このままだとあと2年もしないうちに学籍が無くなってしまう。入学金も収め初めのうちは何科目か取ってその分の学費も納めていたのでこのままだと無駄金を払って無為に年月を過ごしてしまったことになる。勿論その間このブログや詩吟など他のことにエネルギーを費やしていたので必ずしもすべてが無為無駄ということではないが・・。

 今年初め男は自分のメタボの腹を凹ますことと英語の能力をつけるという二つの目標を立てた。その方についてもあまり真剣ではなかったがある程度努力はしてきている。しかしあまり成果が上がらぬまま1ヶ月を過ぎてしまった。これでは日々を真剣に一生懸命に生きているということにはならない。男は独りそう反省している。一方で自分にストレスを与えてまで一生懸命に生きるようなことはしようなどとちっとも思っていない。いい加減と言えばいい加減である。そもそも男はこれまで万事物事は100点満点の60点でOKという主義でやってきた。それで万事うまく事が運んできた。それは殆どストレスがないような生き方だから男の手に長生きの相が現れている。

 ある日男は自分の胃の内視鏡による定期検査を受けるためある消化器・内科医院を訪れたとき、そこに置いてあった手相のことが良くわかる本に興味があったので診療の順番待ちの間それを見ながら自分の手相を調べたことがあった。それには男が怠惰な性格であるが頭が良いため何でも上手く処理してゆくというようなことが書かれていた。確かに男は怠惰である。余分な神経は使っていない。勿論これまで男は何事にも集中しなかったかと問われれば否である。集中するときは寝食も忘れるほどに集中していた。創造的な自分が好きな事にはものすごく集中していた。ただ男にはこれまで山中教授のように人生をかけて集中するようなことにめぐり会わなかった。だからこれまで才能がありながらのほほんと生きてきた。しかし自分の人生の大事業は仏の加護があったお蔭で無明のうちに成し遂げることができている。それは男の女房のお蔭である。男はやがて時が訪れて棺桶に片足を突っ込む時はニコッと笑って突っ込むことだろう。そのことは間違いない。

人の「行動」は「環境」と「刺激」の関数である。男はインターネット環境の中である強い刺激を受けた。今の時代何も金をかけなくても最も能率的な勉強ができるようになっている。家の中でも外でもノートパソコンやスマートフォンを持ち歩いてどこでも英語の勉強ができるようになっている。放送大学生であればインターネットで往年のアメリカの俳優や女優が主演の古い映画を題材にした『実践英語』を勉強することができる。NHKもインターネットで能率的な英語学習の番組を提供している。専攻は違うがその科目を取れば男は何年かの間、放送大学から除籍されずにすむことだろう。