2013年2月24日日曜日


「唐」の時代のシナ・「元」や「清」の時代のシナ・今のシナ(20130224

 ここに白居易の詩がある。白居易の字は「楽天」であったから白居易は「白楽天」とも呼ばれている。また白居易は自らを酔吟先生(すいぎんせんせい)とも香山居士(こうざんこじ)とも号していた。白居易が自ら編纂した自作の詩文集「白氏文集」は白居易存命中の承和11年(844年)に留学僧恵萼により67巻本の『白氏文集』が日本に伝来し評判になっていた。白居易は『白氏文集』が日本で評判になっていたことを知っていたという。

 白居易は74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、その翌年の846年に75歳で生涯を閉じている。ちなみに遣唐使が廃止されたのは白居易が没して48年後の寛平6年(894年)のことである。遣唐使は第18次遣唐大使に任じられていた菅原道真の建議によりもうこれ以上唐から学ぶものはないとして廃止されとなったものである。

 この『白氏文集』は平安時代の文学書物語小説『源氏物語』や随筆『枕草子』に大きな影響を与えている。『源氏物語』が出版されたのは長保3年(1001年)のことであり『枕草子』が初めて出たのは長徳2年(996年)のことであるから白居易没後150年ほど経って唐の文学が日本の文学に影響を与えたということになる。

 日本は従来日本独自の官名である太政大臣や大納言などを唐のそれと同じにした時期があった。帰国した遣唐使が天皇に報告するとき唐の官服を着た時期があった。それは国家転覆の罪で斬殺された藤原恵美押勝(藤原仲麻呂)が政権を牛耳っていたときであった。当時の日本にとってシナ(唐)は日本が学ぶことが多かった偉大な国であった。しかしそのシナ(唐)も朝鮮半島東部の「新羅」と組んで日本が権益をもっていた朝鮮半島西部の「百済」を663年に滅亡させた。このことがあって当時の日本政府は日本各地から兵を集め「防人」として北九州に配置し日本の防衛体制を固めた。またモンゴル人が皇帝になった「元」の時代のシナは二度にわたり日本を侵略しようとした。幸い二度とも「神風」が吹いて日本は侵略を免れた。「清」の時代のシナは当時のロシアが朝鮮半島の領有することを許すような行動をとった。それは日本にとって国土防衛上非常に危険なことであった。

今のシナ(‘「中国共産党」王朝’のような国)は1970年ごろに尖閣諸島近辺に石油資源があることを知り尖閣諸島は「明」の時代から中国の領土であったと主張し毎日のように尖閣諸島の領海侵犯を繰り返して日本との間に紛争を惹き起こそうとしている。

各国家はそれぞれ生き残るため必死である。こういう状態のとき日本が生き残れる唯一の手段は国家として外交・経済・科学技術・軍事・同盟関係等を総合した強大さである。それはシナ(共産党王朝国家)を圧倒するような強大さでなければならない。