時に思う(20090918)
民主党による新政権が発足した。民主党は永年の悲願をようやく実現し、政治主導の政治を行うことを最大の眼目としている。男は新閣僚の顔ぶれを見て一先ずは安心した。男が一番懸念していた外交・安全保障について、民主党は現実的な路線を歩むだろう。軍隊のことが分からぬ連中が、ソマリヤ沖には海上保安庁の旗印のもと海上自衛隊を派遣すれば良いなどと考えている。「核を持ち込ませない」と言いながら「アメリカの核の傘は必要である」という。そのような輩に男は「一度軍事について勉強せよ」と言いたい。
軍事は外交の手段である。軍は一朝有事のため日夜訓練を積んでいる組織である。軍は英語でArmed Forcesというように、人間の体に例えれば武芸の能力のようなものだ。北朝鮮は手に凶器を持っている。彼の国の論理は「自衛のための核兵器」である。そう、どの国も自存・自衛のためいろいろ努力しているのだ。
歴史をひも解くと、わが国は古代から現代に至るまで幾度も自存・自衛のため外国と戦って、その場に臨んだ人々の血を流してきた。663年、白村江の戦いでは唐と新羅の連合軍と戦い非常に多くの犠牲を出して朝鮮半島から撤退した。日本(倭国)はそれ以前、朝鮮半島南部の一部を領有していた。倭と百済の軍は現在の中国・北朝鮮の国境近くまで侵入した。
韓国では豊臣秀吉は非常に嫌われていて日本人の観光客にも説明されるが、その豊臣秀吉は朝鮮半島に軍を送った。そのことは‘侵略’と一言のもとに片付けられている。それも十分考えられる。しかし‘侵略’意図だけであったのだろうか?片や、わが国には、いわゆる元寇以前に、11世紀に刀伊の入寇もあり、北九州地方の武士・民衆はその侵攻を防ぐため非常に多くの犠牲を出している。第二次世界大戦で日本は侵略戦争をしたと自分で言って、謝罪し続けている。皆、自存・自衛の争いをしただけではないのか?
663年の白村江の戦いは天皇の命令で出兵した。日清・日露戦争、大東亜戦争では、統帥権を振り回した軍中枢の求めに、「四方の海 みな同胞と 思う世に なぞ波風の たち騒ぐらむ」と明治天皇は詠まれ、昭和天皇もこれを引き合いに出され、国と国との争いを決して望まれなかった。そればかりではなく、戦争に負けて自らの命を戦勝国に差し出された。これは、大家族が他の大家族と争いごとを起こし、家長はそれに引きずられざるを得なかったが、争いに負けて家族を守るため自らの命を差し出されたようなものである。戦国時代、一国の城主が自分の命を差し出し、家臣や領民を守ろうとしたようなものである。天皇は、日本民族という大家族の家長のような存在である。言葉を変えれば、天皇は日本人の各家の宗家のようなものである。
古代、中国は柵封といって、周辺諸国の王にその国の王であることを認める代わりに、その国を中国の支配下に置き、支配下の国々を獣の名前をつけて見下していた。わが国は唐の時代が過ぎるまで東の夷、「東夷」であった。北狄の民族が中国の支配者となった元の時代に初めてわが国を「外国」と呼んだが、天皇のことは依然として「王」であった。
聖徳太子が天皇のことを「日出る国の天子」と文書に書いて隋に使者を送り、わが国は「柵封」の「王」ではなく、自立した国の「天皇」であると主張した。今日、わが国はアメリカの柵封ではないが、首相が変わるたびに、首相はアメリカ大統領に会いに行く。核ミサイル兵器を保有しない日本は、アメリカの核の傘に守れなければならない国なのだ。
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