2009年9月16日水曜日

ボケの始まりか?(20090916)

 田舎の母から女房に電話がかかって来ていろいろ報告があった。母は90歳である。その話の中に「向日葵が満開でいっぱい咲いたので3本ばかり根元から切った」ということである。女房は「満開なのになぜ切ったの?」と問うたら「来年また咲いたら困るから」とのこと。女房は独り暮らしの母のため、背丈の低い向日葵の種を蒔いていた。その種から芽がいっぱい出ているとの報告があり、夏にはその背丈の低い向日葵がいっぱい咲いて、独り暮らしの母の目を楽しませてくれるだろうと期待していた。そのうち、母から「向日葵の花が咲かない」と報告してきていた。その時はまだその事情がわからなかった。

 その母がこの7月に熱を出して町のかかりつけの病院に入院したとき、男は急きょ田舎に帰った。その時男が見たものは背丈の高い普通の向日葵であった。しかも花は上のほうに小さなものがちらほら咲きかかっていた。そのことを女房に電話で話したとき女房は「おかしいわね、私が蒔いたのは背丈の低い向日葵だったのよ」ということであった。小さな花をつけていた背丈の高い向日葵の下には、母が以前報告してきた背丈の低い向日葵は一本もなかった。男もその時は背丈の高い向日葵が女房が蒔いたものだと思っていた。女房もそうかもしれないと、その時は「おかしいな」と思いながらそう思っていた。

 近所のAさんが言うには「以前、向日葵の球根が沢山掘り出されていたことを見たことがある。その球根をYさん(母のこと)が植えたに違いない」とのことであった。母は、「M子(男の女房のこと)が蒔いてくれた向日葵は花をあんに大きくなったのになかなか花をつけない」という。女房が種を蒔いて芽が沢山生えて来た背丈の低い向日葵を雑草だと思って取ってしまった可能性がある。そのことを忘れていて「花が咲かない。花が咲かない」と言っていたのだ。しかも母は自分が植えた球根がまさか向日葵の球根だとは思わず、去年女房が植えて花を咲かせていたチューリップかなにかの球根だと思っていたふしがある。

 女房がそんな話を電話で妹にしたら、妹は「お母さんは少しぼけたのではないかと思う」と言ったという。女房は「お父さん(男のこと)もそのようなことを言っていた」と返し、妹と母のことをいろいろ長々と話していた。

 男と女房はこの10月半ばに田舎に帰る計画である。田舎の家の庭の一部が花壇になっており、他の一部は野菜畑になっている。男と女房はその花壇や畑や庭の手入れをしたり、冬に向けて母のためにあれこれ準備をするためである。今度は帰ったついでに県内の名所の観光旅行をしたり、割合近いところにある山にハイキングをしたりしようと考えている。

 母がもし転倒したりして寝たきりの状態になり、おむつを当てなければならない状況になったり、本当にボケてしまっておむつを当てないとだめになってしまったりしたら、母を以前から申し込んである老人施設に預けるしかない。そうでないかぎり、男と女房は母を長年住み慣れた家で最後まで暮らすことができるようにするつもりである。母にはそのように言ってある。母は100歳まで長生きするかもしれないが、男と女房は田舎に滞在する回数や期間が徐々に多くなってくる。

 男も女房ももう若くない。いよいよ‘老老介護’が始まる気配である。母は町のかかりつけの医師に「私が長生きし、子供に先に死なれたら困る。その時はよろしくお願いします」などと言っている。本人も長生きしたいと言っている。本当に100歳まで生きるのかもしれない。対策を考えておかなければならぬ。