2009年9月28日月曜日

ブログに書くということ(20090928)

 男の「吟詠」ブログで時々夜中にアクセスがある。これはひょっとすると海外からのアクセスかもしれないと思う。男は「Ceramic Art」と題して陶芸のブログを英語で出している。これはここ数カ月何も書いていないが、そのブログで「吟詠」にリンクさせている。
そのブログは、男が自分自身の英語の練習のため英語で書いているものである。このとこと忙しかったので放ったらかしにしているが、気にはなっていた。陶芸は電動ロクロの初級と中級のコースを出ていまお惣菜皿だけを自由に創っているが、あまり気に入ったものが出来ない。それにブログで作品の写真を出すためには、背景の色などいろいろ工夫しなければならない。そのため結構時間を費やすのでつい億劫になっていた。

 しかし、英語は自分の勉強のためである。写真の背景を作ることも慣れてしまえば簡単である。このところ少し時間的な余裕もできてきたので、今日は横浜の東急ハンズに行って写真の背景を作るものを買い求めてこようと思う。そして、自分が創った陶器の写真を撮り、英語で説明文を書いて久しぶりブログに出そうと思う。

 男が通っている陶芸の自由創作の教室では30代の女性のインストラクターが必要に応じて指導してくれている。彼女はこれまで何度か国際コンペに出品していてこの度ポルトガルで行われたコンペで入賞し、10月にポルトガルのコンペ会場に行くそうである。男は彼女に、着物が似合うので着物姿で会場に行ったら受けると思う、と言った。

 コンペは年齢制限があり男が仮にどんなに良い作品を創ったとしても出場資格はない。それにコンペに出すには出品料こそかからないが、輸出手続きとかなんとかややこしい手間がかかる。出品のためその作品に込めた思いなど、その国の言葉で説明文を作らなければならない。また、良いものを出すので総額20万円ほど費やすらしいのでそのような出費はご免である。その代わり、英文のブログで自分の作品の写真を発表するのである。恐らくそのブログを見てくれる人は男の関係者などほんの数人もいればよい方だろう。

 男は彼女から説明文の英訳を頼まれたことがある。英訳はインターネットのEXCITEなど翻訳ソフトで翻訳し、翻訳がおかしなところは元の日本語から手直しして正し、なんとか英文らしいものに仕上げるだけである。ドイツ語にする時はその英文からソフトでドイツ語に変えればよい。それでも多少ドイツ語も知っていなければおかしな文章になるだろう。男は放送大学で多少ドイツ語も勉強したことがある。哲学を専攻したのでドイツ語の哲学の短い文を翻訳することも課せられた。幼稚園以下のレベルであるがほんの少しは分かる。

 男はこのブログについてある人から「‘男’と書いているのは日記の‘自分自身’をなるべく客観的にするためか」と聞かれたことがある。そのとおりである。彼は「小説を書くための準備だろう」と言うので、男はそのつもりであるとその時答えた。確かに‘私は’と書くより‘男は’と書く方が自分を客観視できる。書く内容に多少のフィクションもある。

 これまで政治や世相について男は憤りの心で批判的なことも非難的なことも書いた。しかしもうそれは止めることにした。その代わり、ブログに書くために自分が勉強したことを書くことにした。自分の身内や友人など、男のブログ読んで「ああそうなのだ」と納得してもらえるようなことや喜んでもらえるようなことを書こうと思う。

 人生は短い。こうして毎日何か書く行為を昔は紙に書いていたが今ではブログに書くことができる。男は、自分が本当に良い時代に生きていると実感している。