2009年9月21日月曜日

爽やかな午後(20090921)

 まだ北寄りの風が吹いているが快晴の爽やかな午後である。台風14号は八丈島に最も接近して東北東に去って行った。このような午後のひと時、the most relaxing feel とタイトルが書かれているCDの音楽を聴きながらキーボードをたたいている。ちょっと手を休めて前の壁面を見上げると、右側のカレンダーの写真には五能線を走っているSL列車が写っているのが目に入る。その右は男の部屋の出入り口で、後ろのベッドの脇の窓から風が吹き抜けて簾を揺らしている。真上の天井に近いところに男が古道具屋で買ってきた台湾製の文字盤が薄い茶色系統でその周囲がやや濃い茶色の木目調にデザインされた洒落た壁時計が掛っており、白い壁とよく調和がとれている。その左下方にF-1ファイター2機が雪景色の富士山をバックに飛行している写真パネルなどが掲げられている。

 今日は午後久しぶりに長男一家が訪れる。そのため男と女房は朝からその客を迎える準備をした。夕食は自宅で天麩羅を食べる。そのためちょっと遠方のスーパーまで材料を買いに行った。近くのスーパーでも売っているがエビや魚や刺身などは遠方のスーパーで良いものが手に入るからである。高校2年生の孫娘が喜ぶはずだといくらを少し多く買った、美味しそうなチーズケーキも買った。いろいろ沢山買いこんだが、総費用は皆で寿司を食べに行くよりはずっと安い。女房と二人でのこのような買い物は結構楽しい。

 天麩羅は天麩羅なべをテーブルの中央に置いて、各自がそれぞれ好きなように材料を串に差し、油がたぎっている鍋の中に入れて揚げながら食べる。鍋の油は電気で温められる。大人数がそれぞれ十分満腹になるように材料は数多く大目に準備する。そのため天麩羅の下準備には時間がかかる。その作業は女房が行い、男は部屋の中の掃除などを行った。

 男の家では来客があったとき昔からこの方式で天麩羅を食べる。これは大変好評で、他界した男の元上司で友人であったLも喜んだ。手巻きずしも好評であった。Lは自分で好みの刺身などを手巻きずしにして食べることを「オー・ジャパニーズ・タコス!」と言ってとても喜んで、奥さんのEが食べ過ぎに心配していたほど沢山食べた。そのLは子供のころナチスドイツの迫害を逃れてキエフからアメリカに渡ったらしい。戦争中は航空救難部隊に所属し進駐軍の一員として北九州の芦屋基地に駐留していたと言っていた。男の会社がアメリカの会社と合弁で出来た会社であったため、男はLと知り合ったのである。Lは奥さんのEと日本滞在中芦屋を訪れている。彼が若い兵隊の頃、基地の前にはバーが立ち並んでいてよく遊びまわったらしい。
(関連:「サンディエゴからの電話(20090615)」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/06/19xx-20-3-1-2-7-2-10-10-10-10.html

 久しぶり大人数で食べる夕食は楽しかった。皆良く食べた。男は記念のセルフタイマーで記念の写真を撮った。楽しい思い出をできるだけ多く作っておくことは重要である。このようなファミリーだけの夕食では、男は無意識のうちにLから影響を受けた振る舞いをするようである。後になってそのことに気づく。来年修学旅行でイギリスやイタリアに行く孫娘に男は、「どこの国の言葉でも‘おはようございます’とか‘今日は’などの挨拶の言葉と‘有難う’‘すみません’‘どういたしまして’の三つの言葉だけは覚えて使えるようにしておくことだ。日本人この三つの言葉をなかなか言わない。おじいちゃんは‘Thanks’‘Sorry’‘You are welcome’と自然に英語で言ってしまうことがあるよ。」と話したら、孫娘は素直に男の話にうなずいていた。男は来年修学旅行で外国に行く孫娘に少し餞別をはりこまなければならないと考えている。