2009年9月24日木曜日

日本は愛せない国なのか?日本国旗・国歌考(20090924)

 鳩山首相が訪米し、現地の日本人たちは首相を歓迎した。その中である若者が「日本が愛せる国になって欲しい」というようなことを言っていた。一方でスポーツ選手は「表彰台に日の丸の旗を揚げるため頑張る」と言う人が多い。

 男は日本の国旗の由来について調べてみた。『続日本紀』によれば、大宝元年(701)文武天皇が大極殿で官人の朝賀を受けられたとき、大極殿の左側に「日」を形どった旗を用いたと書かれている。これが「日の丸の旗」が用いられた最初である。

 日の丸の旗が日本国を表すことになったのは、19世紀ごろ世界の各国が国旗を持つようになった時期である。幕府は嘉永七年(1854)三月、日米和親条約に調印し、諸外国との交流が始まり、同年七月徳川幕府より諸藩に対して「日本惣船印令」が布告された。2年後の1859年、幕府はそれまでの幟から旗に代えて日章旗を「御国総標」とした。この時から日章旗が事実上日本の国旗となった。文久三年(1862)には、「御軍艦の儀、御国印、白地日の丸」という幕令がだされたので、日の丸が公式に「御国旗」となった。

 日章旗の寸法は明治三年(1870)太政官布告で明示された。その時の規格は現状と若干異なっていて縦横比は710、日の丸の直径は縦の5分の3、その中心は旗の面の中心より旗竿の方に100分の1程度寄っていた。これは、旗竿に翻る日の丸の旗の日の丸が旗の面の中央に見えるようにしたものである。

 平成11年に制定された国旗国歌法の本則における日章旗の規格は、縦横比を23、旗の中心(対角線の交点)を中心とし、縦の長さの5分の3を日の丸の直径としている。ちなみにこの法律案を審議するとき、衆議院内閣委員会において民主党の菅直人氏が修正案を提出したが否決されたという経緯がある。その修正案はどんなものであったか?

 国歌『君が代』について、「君」は天皇を指すのではない。『万葉集』では、天皇は「大君」と呼ばれる。国歌『君が代は』に良く似た歌は『古今和歌集』343番歌に「読み人知らず」として「わが君は 千世にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」があり、『万葉集』では、228番歌に「千代」「こけ」の語がある。3400番歌には「小石(さざれし)」がある。988番歌と3047番歌に「巌」がある。なお3047番歌は「神さびて 巌に生ふる まつが根の 君の心は 忘れかねつも」と「君」という語がある。『万葉集』には他にも例えば3026番歌で「君は来ず ・・」や3032番歌で「君があたり ・・」と天皇を指す「大君」でない、自分が敬愛する人を指す言葉である。

 こういうことから国歌『君が代』は、日本人全ての人の万人の繁栄と長寿を願い、それが永遠に続くことを祈る歌であることは明らかである。男は共産党や日教組が国歌『君が代』を尊敬せず、国旗掲揚・国歌斉唱時に起立もせず、「思想信条の自由」を叫ぶのは、彼らが日本人の精神文化を根底から破壊し、彼らのイデオロギーを実現させようとする意図があるからであろうと思う。そのような連中が上述「国を愛せない」若者を育てるのだ。

 先般、新政権の閣僚の記者会見で、檀上の国旗に敬礼しなかった閣僚が多かった。福島氏も亀井氏もしなかった。そのことをテレビで見ていて不思議に思った外国人は多い。男のメールボックスにある友人から「テレビで大臣のインタビューを見て気になったのは日本国国旗にお辞儀をしなかった日本国大臣がいたのにはびっくりしました。国歌もちゃんと歌えるのか心配です(皮肉)」、とあった。(関連ブログ「永住外国人の参政権(20090823)」)