2009年9月2日水曜日

大曲花火大会(20090902)

 BS番組で秋田大曲花火競技大会の模様を大型液晶テレビ画面で観た。大曲の花火のことは知っていたが、これほど大掛かりで素晴らしいことを男は知らなかった。男は以前女房が男と喧嘩して独りで横浜の花火大会を観に行ったという話を聞かされて、「悪かったな」という気持ちをずっと抱いていた。テレビで花火大会の様子を観ながら、若いころまだ赤ん坊だった長男を抱いて女房と3人で荒川の花火大会を観に行ったことを思い出していた。あの頃は若かったなあと思った。人生はそんなものだ。

 大曲の花火大会で大会花火というものがあった。これは素晴らしかった。男は「一度大曲の花火大会を観に行こうよ」と女房に語りかけたが、女房は黙っていた。この年になっていまさら若い人たちのように花火大会を観に行こうという気持ちはないのだ。男自身も同様である。それよりは、男は一度秋田に行ってみたいという気持ちを強く抱いている。その理由は、男の父親が残してくれた家系図に千年近く前の先祖の二男が「秋(ただし、字体は旧字体で左右が逆の文字)田信濃守系御知行五万石」という記述があるからである。

 男はある会合で「自分の先祖は呉から来た」という人に会った。呉は中国の三国時代の呉の国のことである。長江(揚子江)流域にその呉の国はある。わが国には越や呉の地名がある。男のブログ826日の「日本列島の大王たち(20090826)」でちょっと書いたが、日本人のルーツにはその長江中流域から戦乱を逃れてわが国に辿りついた人たちがいる。千年も経てば一組の夫婦から1兆人の子孫ができる勘定であるので、その呉の国に先祖を持つ人も他の人の先祖の遺伝子も持っていることになる。千年も経てば血は混じり合って、電車の中でたまたま隣に座った見知らぬ人も千年前自分と同じ共通の先祖をもつことになる。明治天皇は日清戦争が始まろうとすることを憂えて「四方の海 皆同胞と思う世に なぞ波風の 立ち騒ぐらん」と詠まれた。日本人は皆同胞である。その会合で話題は日本人の雅の心、着物など日本独特の文化論まで及んだ。

 日本の花火のような美しい花火は、西欧人には作れないと思う。花火師は大曲の大会が終わるとすぐ来年の大会に向けて作業が始まるそうである。大曲の大会は花火師たちの発表の機会である。

 日本には古典芸能の大会もある。着物や祭りの御神輿担ぎや、いろいろ普段自分たちが気に付かない日本独特の伝統文化がある。千年前、2千年前、わが国に渡来してきた人たちも皆日本人になり、伝統文化を受け継いでいる。近年はヨーロッパ系の人たちやアフリカ系の人たちも日本語を話し、日本語でものを書き、日本に骨を埋めるつもりでいる人たちがいる。数世紀も経ないうちに皆日本人になる。既に日本人になり国会議員になっている人たちもいる。数世紀もしないうちに男の子孫は顔形が違ってくるだろう。

 肉体は他の生物同様何れ土に帰る。しかし精神は過去から未来まで永遠の命を持っている。哲学的な思惟をし、後世に名を残すようにすることが重要である。彼の花火師たちも大曲の競技大会で名を残そうと一生懸命努力をしている。男も自分の子孫が男のことを誇りをもって語り継いでくれるようにしておきいと思っている。