2009年9月11日金曜日

たまに過去を振り返る(20090911)

 今日は朝から爽やかな秋晴れである。窓を開けた部屋の外からいろいろな人工雑音が聞こえてくる。ヘリコプターが飛んでいる音、自動車が走る音などに混じって、ちりんちりんと風鈴の音が聞こえてくる。台所で女房が食器を洗う音、女房が家事をするときにかけるヴォーカリスト徳永英明のCDの音楽も聞こえてくる。人間の耳は人口雑音の中で暮らしているうちにそれが全く気にならなくなり、いろいろな雑音の中から必要な音を選択して聞くことができるものである。

 しかし、男は時々思うことがある。自分がもし昨夜見たNHKテレビの番組「メコンを行く②」の映像の中の村のように自動車の音やその他の人口雑音が全く入らないところに居るならば、自然の音だけが聞こえ、その中から必要な音を聞き分けるようになるのだろうと。人口の排気はないから見上げる星空はさぞ綺麗であろうかと。

 そのようなところで暮らしたいか、と問われればNO! である。都会地に住み、そこであらゆる便利さを知っているので、そのような便利さから離れて暮らすことはできない。勿論、旅行などで短い期間メコンの村のようなところに滞在することは悪くないと思う。しかし72歳にもなって自分が今さらそのような体験をしたいとも思わない。

 朝食をとりながら男は女房と語り合った。子供時代から子育て時代のことなどいろいろなことについてである。男は自分自身これまで別につらい体験をしたこともなく、かといって裕福な家庭に育ったわけでもないが、世間知らずのぼんぼんのようなところがある。
それにくらべ女房は5歳の時から男の継母となった母親と別れて母親の実家で、10人も子供がいる大所帯の中で、一番年下で、可愛がられはしたがおじいちゃんやおばあちゃんの顔色を窺いながら過ごしてきた。男は女房が小学校5年生の時、クラスの全員で写った写真の中から女房だけをコンピュータで抜き出して大きくした写真を作ったが、その女房の小学校5年生の時の容貌は非常に印象的である。女房は写真に写る時たいがい中央のあたりに写っているが、小学校5年生の記念撮影の写真の中でも中央にいる。

 この女の子は後に男の父親の一言で男の女房になった。男はコンピュータで抜き出して大きくした女房の写真を見ながら、男の遠い先祖と女房の遠い先祖が、二人を結びつけたのだと思う。目には見えない何か霊的な力が二人を引き合わせたのだと思う。

 食事をしながら話題は男の陶芸の話に移った。男は前にもこのブログで書いたとおり、中ぐらい(直径20数㎝ぐらい)の大きさのお惣菜入ればかり作っている。その中から一つぐらいは後世に残るような逸品ができるだろう。孫たちが「このお惣菜入れはおじいちゃんが作ったものだ」と言ってくれるだろうと男は話した。

 以前、男は自分の過去をふり返ることはあまりしなかった。今では、よく過去を振り返っている。これまで歩んできた道を愛おしく思う。あとどのくらい長く生命が続くか分からないが、時々刻々を大切に、愛に満ちた日々を送ってゆきたいと思う。

 今日はお天気が良いが北風が強い。女房はこれから出かける。女房はボランティアと自分の健康と若干の収入を得るため、ホームヘルパーとして週34時間、同じ町内のお年寄りの家の家事援助をしている。そのお年寄りたちは、男と女房が田舎に帰ったり旅行したりしたとき代わりのヘルパーを頼まず、女房が再び来てくれるのを待ってくれている。男も女房がヘルパーで行く家の小修理などをボランティアで行うことが時々ある。