2009年11月13日金曜日

纏向遺跡と耶馬台国(その1)((20091113)

  このところ世間は騒がしい。子供を育てている34歳の女性の結婚詐欺事件、その女性が犯人かもしれない結婚詐欺にあった男性たちの不審死事件、父親が元外科医で母親は元歯科医である30歳になる長男がイギリス人英語講師の女性を殺害して逃亡していたが逮捕された事件などなど連日報道されている。そういう状況の中、俳優森重久弥が96歳で老衰のため他界した。テレビに写った写真はほほ笑んでいる顔をちょっと横にして手をちょっと上げて、「さよなら、さよなら」と言っているらしい姿である。男は、自分もあのようにして逝きたいと思った。その時はあと何年後だろうか。十数年後だろうか。

  さて、男は自分が何処から来て何処に行くのか知りたくて、日本人の起源などについて本を買い、いろいろ調べてこのブログに書き遺した。2000年以上昔の神武天皇の東征のことなど『古事記』に出ていることをよく読んでゆくうちに、自分がその現場に居合わせているように感じる。自分のはるか遠い祖先もその現場にいたのかもしれないと思う。
人も動物も植物もそれぞれの個々のものは皆己の保存と存続を求めて衝突し、安定状態になろうとして動いている。人はその活動の過程で他者を殺すことがある。人は集団を作り他の集団と対抗しようとする。人の集団は他の人の集団と衝突し、集団として安定し状態になろうとする。目的を同じくする集団同志連合し、その連合した集団群は他の集団群と衝突し、集団群として安定した状態になろうとする。この地球上から核兵器を無くそうと日米が共同で取り組もうとしている。交通と情報と通信の発達は生物の体内のエネルギー伝達系と外部からの刺激に対応するセンサーと神経系のようなものである。この発達は留まることはしない。遂には人類は地球上では利害の調節を行って互いの闘争を避け、宇宙に生存の場を拡張し、人類の種の保存と存続を求めている。

  今日11日水曜日、夜11時、たまたまテレビのスイッチを入れたらテレビ朝日で古舘一郎が奈良県の纏向(まきむく)遺跡に卑弥呼の宮殿跡かもしれないところが見つかったと興奮気味に話していた。耶馬台国の所在地について考古学上の成果から、これまでのところ畿内説が優勢であるが学問的には決着がついていない。もし纏向遺跡から金印かそれを押した後が残る遺物が発見されれば耶馬台国は畿内にあったことが決定づけられるが、謎のままのほうがロマンがあってよいと彼は語っていた。

  男は、渡来系弥生人は1000年以上にわたりいろいろなルートでこの日本列島にやってきたと思っている。大和盆地では長江中・下流域から黒潮にのり近畿・中部地域の海岸に辿りついた人々と先住縄文人との間で文化交流と混血の結果生れた民孫がそこで王国を築いていたと推測している。彼らと九州の王国の民、神武天皇もその一人、とは先祖の渡来ルートや時期も違うと推測している。何れにせよ渡来系弥生人たちはこの日本列島の先住者である縄文人たちと文化交流し、混血し、今の日本人になったのだと思う。

  その縄文人はアフリカを旅だった人々が現在のアフリカ人やヨーロッパ人やアジア人に分化する以前の古い形態をもった人々であり、彼らは人類の拡散の早い時期に東アジアに到達した。その後シベリヤで寒冷地に適応した北方系アジア人の南下によって駆逐されたがこの日本列島ではその地理的特性により縄文人と渡来系弥生人とは文化交流し、混血していたのだと思う。古舘一郎が「自分はどこからきたのか知りたい」と言っていたことに男は共感している。(関連記事『日本人の起源とヤマト王権(その1)(20091107)』)(続く)