2009年11月2日月曜日







国を憂える・・(20091102)

 関門海峡で27日、‘海軍’(男はそう呼ぶ)の‘駆逐艦’(汎用護衛艦には「DD」という記号がつくので男はそう呼ぶ)くらまが韓国籍のコンテナー運搬船カタリリナ・スター号と衝突し、乗組員3人が軽いけがをし、くらまの艦首は大きく損傷し、コンテナー船も右舷が損傷した。くらまは相模湾で行われた観艦式の帰路、母港佐世保に向かう途中であった。どちらに操舵ミスがあったか不明であるが、関門海峡では速度の異なる多くの船が往来しており、第七管区関門海峡交通センターが追い越しなどのアドバイスをしているという。

 同センターはカタリナ・スター号の左舷側をのろのろ進んでいる貨物船があり、カタリナ・スター号にその貨物船を追い越すように指示を出した。そのためカタリナ・スター号は左に舵を切ってその貨物船を追い越した。そのとき反対側(下関海側)から定められた航路を直進していたくらまの艦首がカタリナ・スター号の右舷横腹に衝突した。海峡交通センターは追い越しなどのアドバイスは行うが、航行の安全を保つのはあくまで船舶側にあるという。件のカタリナ・スター号はそのアドバイスを「コントロール(管制)」と勘違いした可能性があるという。男は、もしそれがアドバイスというのであるならば指示の言葉の前に「これはアドバイスであり。安全確認の上舵をきれ」という言葉を付すべきではなかったかと思う。これは「プロシージャ(手順)」の制定の問題ではないかと思う。
それとは別に、駆逐艦側に気の緩みはなかったか、と思う。このところ‘軍人’(男はそう呼ぶ)たちの士気を削ぐようなことを‘軍’(男はそう呼ぶ)の最高指揮官らが発言していることとは全く無関係だろうか?

 今日(28日)アフガニスタンの国連関係施設をテロリストたちが襲撃し、外国人職員6名を含む国連職員12人が死亡、9名が負傷したという。幸いその中には日本人職員は含まれていなかったがアメリカ人1名が犠牲になった。岡田外相はインド洋の給油活動を止めてソマリヤ沖で海賊対策を行っている各国の軍艦に対し給油活動を行うことを提案している。その目的は何なのか?給油を受けながら海域を監視しているがテロリストが乗っている船はいなくなって監視する軍艦も減ってきたからだという。しかしフランス海軍やパキスタン海軍には感謝され続けているのだ。しかもその海域はわが国へ石油などを運ぶ船が通るところなのだ。インド洋での給油活動はアフガニスタンからも感謝されている。インド洋からの撤退が「国のため」なのか?また、補給艦をソマリヤ沖で活動させるという考え方も唐突で、遠く故国を離れ国のため一生懸命頑張っているわが‘海軍’(男はそう呼ぶ)の兵たちに大変失礼ではないか、男は怒りを込めてそう思う。

 男は民主党には政官業の癒着問題の解決や教育貧乏者の解消や子育て支援などを期待しているが、どうも軍というもの対するセンスがずれているような民主党の考え方にいらだちを覚えざるを得ない。日本には「軍事は外交の有力な手段である」という基本的な考え方がない。アメリカも中国もロシアも明らかに軍事を外交の有力な手段として行動している。日本はアメリカとの無謀な戦争に負けてすっかり腰ぬけになってしまったのではないか?

 近隣諸国とほほ笑みの友愛精神だけで万事うまくゆくのだろうか? もしそれが一時的にうまくいったとしても、果たして長続きするだろうか?過去の事例はどうだったか?
アメリカは中国と緊密な仲になってゆくことだろう。ロシアも黙って指をくわえて見てはいないだろう。南北朝鮮はいずれ統一されるだろう。所詮世界の国々は国益や権益を目指してぶっつかりあうものなのだ。

 折からアメリカのクリントン国務長官が隠密行動でパキスタンを訪れ、タリバンの襲撃で命を失った非常に多くのパキスタン人のことを悼み、テロリストの撲滅に「shoulder to shoulder」と言明した。先日はアメリカ軍の兵士が多数戦死した。日本の同盟国アメリカは、血を流しながらテロと戦っているのだ。

 アフガニスタンではタリバンのテロリストの手によりアメリカ民間人が命を失った。アメリカはまさに血を流してテロリストたちと戦っている。それにくらべ日本はインド洋での給油活動から手を引き、アフガニスタンへの‘軍(自衛隊)’の派遣も出来ない。

 誰でも皆「日本の若者を戦場に送りたくない」と思っている。男も全く同じ気持ちである。しかしアメリカの核の傘の下で守られたい。そもそも日本は中身が実質‘軍’であっても、‘軍’というものを持ちたくない。そういう言葉は使いたくない。それはどこか変ではないか? 悲しいことであるが、人間を動物と同じレベルで考えるならば、理性はあってもその下の深層に動物の本能がうごめいているのだ。綺麗事ばかり言っていたら「誇りある」自存はできないのだ。勿論、力は武力が最も大きな要素ではない。国のあらゆる力の総合が本当の力である。しかし武力なしではその総合力が発揮できないのだ。総合力は各力の足し算ではなく、掛け算なのだ。相手が軍事力を誇示(ディスプレイ)すれば、当方もそれ以上の軍事力をディスプレイしないと相手を屈服させることはできないのだ。勿論、同盟国が協同でディスプレイすれば一国でそれを行うよりははるかに安価で容易にそれを示すことができる。それこそが同盟なのだ。

 鳩山総理も岡田外相もそのことについてどう考えているのか? 早速北朝鮮は「日米間に亀裂が走っている」と大喜びしている。アメリカは日本のことを「世界でもっとも厄介な同盟国だ」とはっきり言っている。男はそのような政府を持ったことを悲しんでいる。
自民党の谷垣総裁らが代表質問に立ったが、日米同盟の重要性について突っ込んだ質問はなかった。自民党も民主党も、本当に国のことを憂えているのか? 一般の大衆に受けるようなことばかりに熱心なのではないか? こういう状態を憂え国民を正しい方向に導くのが政府の役目であり、その政府の中核は優秀な官僚群であるべきである。自民党も民主党も官僚たたきをしているが、官僚を国の重要な中核に位置付け官僚を正しく育てる理念を持ち合わせていない。どちらも官僚出身国会議員は多数いるが、みな志を欠いている。
男はそのように国を憂えているのであるが悲観しているわけではない。

 歴史は動いている。矛盾が徐々に膨らんでくるとその矛盾を解消する方向に力が動き、正反合、正反合とアウフヘーベンしてゆくのだ。ただかつて途中で止められず悲惨な結果に終わった日本の戦争のようなことが再び起きないような、賢い反省と未来に向けた賢い方策をうち立てることが必要である。政治はただ弱者に目を向けることだけではなく、国家100年の計についてもしかりとした理念をもって行われるべきである。心ある政治家たちはそのことをちゃんと考えてくれてはいると男は思うのであるが・・・。
(関連記事「志ある政治家は少ない(20090923)」)