2009年11月26日木曜日

再び外国人参政権について(20091126)

男は民主党が立法化を目論んでいる外国人参政権、つまり日本国籍を持たない人々に日本の国の政治に参加させようとする動きについて考えてみた。国籍とは国家の構成員としての資格のことである。外国人とはその国の国籍を有していない人のことである。鳩山首相は「外国人に参政権を与えるという度量を日本人も持つべきである。外国人参政権は国政参加も含む。永住外国人への地方参政権付与について前向きに結論を出したい。国民の思いは必ずしも統一されていない。内閣として議論を重ね、結論を見いだしていきたい。」というような趣旨のことを発言している

男は右翼でも国粋主義者でもないが、本当の気持ち、彼は一国のリーダーとして誠にふさわしい人であるのか疑問に思うようになった。
普天間基地問題もそうであるが、彼は「選挙の結果をみなければならない」と口にする。かつて選挙の結果、ヒットラーがリーダーに選ばれ、ユダヤ人大量虐殺の論理の芽が出て、それが大きく育ち、あのような人類史上例をみない犯罪が行われた。民主主義における民意とは一体何なのか。一般大衆の情緒的な判断の結果が民意なのか?男はそうは考えない。真の民主主義における民意とは、良識ある階層の人たちの判断の結果によるものであると考える。選挙権は日本国籍を有する成人男女に平等に与えられているが、良識ある人たちの集団的・集合的判断が出来るだけ多くの選挙人に共有されるような仕組みの中で選挙が行われなければ真の民主主義における民意にはならない、と男は考える。
外国人参政権について先ず国民的議論がマスメディアを通じて行われ、しかる後に民意を問う選挙が行われ、その結果民主党が多数政党になり、外国人参政権を推進するのであれば男は反対しない。しかしそのような議論もなく、大多数の人々が読まなかったり完全に理解していなかったりしているマニュフェストに書いてあり、民主党がそのマニュフェストを掲げて政権を取ったので実行するというのは暴挙ではないか!民主主義とは手続きに時間がかかるものである。その手続きを民主党は出来るだけ省略しようとしている。事業仕訳の手法を実行する前に、①事業仕訳は予算を獲得しようとする側と予算要求を抑圧させようとする側との戦いである、②事業仕訳の結果削減された事業でも、認められた事業でも段階を踏んで最終的には政治的に判断する、という2点について一般国民に十分な説明がなされていなかった。

マスコミもそのことを追求せず、民主党の“ショー”に踊った。
民主党は国政遂行上の原理原則を何処に置いているのか男には判らない。男が納得できる国政遂行上の原理原則は、先ず第一に国の形に関すること、第二に国の外交と防衛に関すること、第三に国の繁栄と繁栄の持続に関すること、の三点である。勿論これは男自身が勝手に考えた原則であり、どの書物にも書いていないものである。しかし男は日本という国体を、例えが適切ではないがある有機的で高度な生命体とした場合、その生命体は他の同様な生命体と自己の存続をかけて対立し或いは協調するであろう。そのときその生命体はその三点を基本にして自己の存続を図ろうとするだろうと考えるのである。
第一の国の形に関することとは、わが国の歴史・文化・伝統の根本にある精神であり、その精神の中心、深層心理学上の‘自己そのものであるセルフ(Self)’の自覚である。世界に類を見ない天皇、神社、伝統的な行事などはその自覚のためのキーワードである。
民主党は「国民の目線」を強調する。その一方で外国人の参政権を国政・地方行政両方で実現させようとしている。男は、この国は大丈夫かと不安に感じざるを得ない。

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