2009年12月2日水曜日

小説・騎馬民族征服説『倭王の末裔』(20091202)

 タイトルの本は、豊田有恒という人が書いた本の題名である。男はこの本をまだ読み終わっていないが、著者は古代の日本人の呼称である‘倭人’について、これは朝鮮半島南部にいて後に日本を征服した騎馬民族及び彼らが日本を征服する以前から日本にいた人々の総称であり、朝鮮半島からやってきた騎馬民族が在来の倭国に代わって新しい倭国を建設したとする立場をとっているようである。

 一方、『日本列島の大王たち』の著者・吉田武彦(関連記事:「日本人の起源とヤマト王権(20091107)」以降)は、日本は騎馬民族に征服されたのではなく逆に北九州の大王が朝鮮半島の南部を支配していたと言っている。その根拠を銅鐸の分布など考古学の成果や中国の史料などに置いている。そして「江上波夫氏の騎馬民族説は、津田史学の双肩の上に立脚している」と言っている。吉田武彦は、邪馬台国は博多湾岸の領域にあったとしている。また神武天皇の東征は事実であるとし、ヤマト王権が成立する以前の歴史は北九州の大王の歴史を日本書紀の中に取り込んで作られたものであるとしている。

 男は「自分は何処からきたのか」ということを知りたくていろいろな本を斜め読みしながら大方のところを探っているにすぎないが、邪馬台国の所在地は奈良盆地であり、神武天皇は北九州の大王の分家筋であり、朝鮮半島南部一帯に北九州の大王の領地があり、そこに倭人が住んでいて隣国の百済と組んで朝鮮半島北部に侵入したと考えている。

 日本は朝鮮半島の北部から韓人を征服して南下し、北九州にやってきた騎馬民族に征服されて成立した国であるという立場を取る人は多いかもしれない。あるいは単純に天皇家の祖先は朝鮮半島から来た人にあり、実際古事記や日本書紀には天皇家の母方の祖先が新羅の王族であることが書かれているので「多分そうに違いない」と思っている人も多いと男は思う。この記事のタイトルの著者・豊田有恒は文化功労章も下賜されたという江上波夫の騎馬民族渡来征服説をもとに小説を書き、多くの日本人に影響を与えたと思う。

 政治家たちは暇な老人である男のように「自分は何処から来たのか」考えもせず、自分たちのルーツは大陸や南方からやってきたという程度にしか考えていないであろう。政治家で大学の理工系学部出身者は物事を合理的にしか考えようとしないであろうし、文系出身者の中には左翼的思想の教授につながる思考に盲目的になっているかもしれない。

 そのような状況の延長線上に外国人への国政・地方行政への参加権利付与の動きがあると男は考える。男は戦前のような皇国史観に立つものではないが、人が自分自身の心の中を省みるように、国家がそれ自身の心、いうなれば民族の集合的精神・集合的思想・集合的思考様式・集合的感情などを省みることをしないならば、その国家は滅びるであろうと思う。日本の国籍を有しないものに参政権を与えるならば、日本に大陸から移住してきた人々が何百万人、何千万人となったとき、かれらは日本国籍を有しないまま日本国の国益よりも自分たちの利益になることだけに関心をもち、その利益の実現のために大きな発言力をもつことになるだろう。

 「日本人は外国人に参政権を与えるという度量をもたなければならない」という言葉は多くのお人よし的な日本人には合理的に感じられるだろう。男は、日本の将来を憂える

(関連:「永住外国人の参政権(20090823)」、「再び外国人参政権について(20091126)」)