2009年12月8日火曜日

年賀状(20091208)

 今年また年賀状の季節がやってきた。男は毎年300枚近く年賀状を出し、300枚近く年賀状を貰っていた。年賀状はパソコンで作り、写真をはめ込んだりしていた。文字も筆字に似たフォントを使い、なるべく手造り風を心がけていた。そして印刷したものに何か一言書いたり自筆で署名したりしていた。しかし、どんなに工夫しても形式的な温かみのない年賀状になってしまうことは否めない。男も来年は73歳になる。来年1月に丁度満100歳になる方から男と女房の戒名を頂くことになっているが、それをいつまで眺め続けられるかもわからない。心の籠っていない形式的な年賀状からおさらばするべきであると考えるようになった。そこで今年は通常の年賀はがきを100枚、色つき10枚、絵付きを10枚の合計120枚しかしか買わなかった。

 絵付きの年賀はがきはクリスマスカード代わりに表は日本語、裏は英語で書いて封筒に入れ、アメリカの友人に送った。英文には「くじの番号は控えてあります。もしくじが当たった知らせます。楽しみにしてね。」と書き加えた。そう、相手がアメリカ人と言っても何も向こうの風習に従うことはない。第一綺麗なカードを買うと何百円かかかる。あほらしい。年賀はがきだと155円である。横浜の風景が印刷されている。このほうが良い。先方も喜ぶだろう。表書きを達者な筆字にしたら一層良かったかもしれないが、男は字が下手であるのでそれは止めた。今後筆字の練習をしなければと思う。

 今度も活字印刷の年賀状が沢山来るだろう。男は買ってある120枚の年賀はがきのうち数10枚を女房の分とし、残りを仕方なく今度もパソコンで作る。パソコンで作る方が伝えたいことを良く伝えられるメリットはある。印刷の年賀状の無味乾燥さを少しでも和らげるため、余白の部分に心をこめて何か書こうと思う。そのためにも出す枚数が少ない方が良い。初めに出す相手を厳選し、その他には敢えて礼を失し、義理を欠こうと思う。そして頂いた年賀状のうち、特に年賀状を送っておくべき相手だった場合のみ松の内に失礼を詫びて丁寧な年賀状を出したいと思う。しかし今度は田舎に3日までいて、ここに帰ってくるのは4日の夜になる。時期を外れた年賀状なんか一層失礼である。早々寒中見舞いを書いて、失礼を詫びた方が良い。男は今年からそうすることに決めた。

 今日は月曜日(このブログの日付は一日後)、お天気は良いが北風が吹き気温は低い。女房は川口に出かけている。昨日、女房は体調がすぐれず元気が無かった。今朝は元気を取り戻していた。誰かに会うため出かけるということは心を浮き立たせるものがある。シャワーを浴び化粧をし、着て行くものをあれこれ選んで身なりを整え、持ち物を選んだりしていると心が躍る。男は女房に言った。「お前が元気でないと俺は生きてゆけないんだからね」と。女房にとって男に尽くしていることが男に認められ、男に頼られていることが生きる喜びであるのだ。サンディエゴの男の友達である男と同じ年のスエーデン人は、電話で男に「hug」と言い、女房に彼女からの「hug」を伝えてくれという。日本人は人前で相手を抱きしめることはあまりしないが、欧米人はそれをよくやる。男は出かけ前の女房をしっかりhugしてやった。「hug」は愛情を示す最も良い方法である。

 今日は女房が居ないのでパソコンで年賀状を作ったり、古本屋に行って菊池寛の『恩讐の彼方に』という本が売っていないか探したりしようと思う。この本は男が主宰している詩吟の会のイベントの準備のため必要である。このことについては後日書くことにする。