2009年12月17日木曜日


子供の顔がぱアっと明るくない(20091217)

 どんより曇った12月も半ばの時節のせいか子供たちにぱアっと明るさが見られない。同じ年のアメリカの子供たちは場所が東海岸の寒いところだろうと陽気で明るい。日本の子供たちが内気で恥ずかしがり屋であるためだろうか?男はそうは思わない。日本の子供たちでも昔は皆元気で明るかった。貧乏で鼻水をたらしボロを着ていても皆明るく元気だった。男が中学生のころある級友は家が極貧であったため学校に日の丸弁当(おかずなく大粒の麦飯の中に梅干し1個)さえも持って来ず、継ぎはぎだらけのしかも破れて布がひらひらした服を着、裸足で学校に来ていたが誰も彼をからかうことなく一緒に遊んでいた。その彼は中学校を出るとすぐ働きに出、その後何処でどうしているか判らなかったが、20年前在京28年卒同級会に来ていて男は彼が埼玉のある街でタクシーの運転手をしていることを知った。20年後の今、彼はある小さなタクシー会社の社長になっている。

 今の都会の子供たちがなぜ元気がないのか男は考えてみた。一つの答えは、子供たちは幼児期母親との会話が少ないだけではなく、子供同士で遊ぶことも少ないためだと思う。要するに他者との間で言葉を交わす回数が少なすぎるのだ。最も大事なことは乳幼児期母親が子供にお乳を飲ませながら赤子と語り合い、少し大きくなったら子供を自分の膝の上に載せて向き合って両手を引きあいながら語り合うことである。そしてさらにもう少し大きくなったら食卓を囲みながら語り合うことである。父親は週末とか休暇の時とか、時々子供たちと一緒に遊べばよい。乳幼児期・学童期の子育ての主役は母親である。母親が自分が産んだ子とよくよく対話することである。しかし今の母親はそのことを自分の母親から教えられていないから、自分が母親になってもそれができない。まして経験豊かな姑と一緒にくらすことは嫌だから、教えられる機会も少ない。

 その点男の女房は最も理想的で100点満点の母親であったと男は思う。普通、男の子は成長して会社員になっているとき一日の出来事をあれこれ母親に話す者はあまりいないらしい。しかし乳幼児・学童期からそのような習慣が母親との間にできていれば、大人になっても子供は母親とよく語り合う。語り合ってお互いいろいろいい勉強にもなる。ストレスも解消される。家庭の中が暖かい。豊かな心、暖かい心は家庭を暖かくする。

 飾り立てた家の中は暖かさはない。家具調度品が高級品でなくてもよいのだ。身につける飾り物が高級でなくてもよいのだ。必要な物が揃っておりそれが機能をよく果たし長持ちすればそれでよいのだ。見栄は一切不要である。ブランド品を持って得意がる人はある意味で可哀そうな人であるが、それを羨むことはもっと哀れである。

 子供手当で子供の顔はパァっと明るくなるだろうか?男はそうは思わない。お金で物事を解決するのではなく、社会教育、学校教育、家庭教育、すべての教育場面で、心の豊かさ、心の暖かさについて、国を挙げて、賢者の智慧を総動員して、取り組むべきではないか?そこに資金を十分注入すべきではないか?

 古の昔、聖徳太子(574-622年)が中国大陸の文明を吸収しながらその空しさと悲哀を感じて仏教の思想を広めようとしたように、また聖武天皇(701749年)が仏教の思想で国全体に人心の安らかさをもたらそうと大仏を建立し全国に国分寺を建設したように、世が乱れて来た今の時代、為政者は仏教の思想に目覚めるべきである。古の昔、危険を冒して中国大陸に渡り、仏教を学び、膨大な数の経本を持ち帰って、人々に説いた古の賢者・聖者の恩を、日本人は忘れてはならないと男は思う。