2010年4月12日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(23) (20100412)

古代の日本について韓国の学者が書いた本が店頭に並んでいる。ページをめくってみると神武天皇はツングース人であったとか、継体天皇も含め古代の天皇は朝鮮半島の王であったとか書いてある。史実と推論を書き、古代に朝鮮半島南部にいた倭人は日本人ではなく伽耶国の人であるなど論証的に書かれている。本の題名も見る人を引き付け、本の内容も読者をして「そうかもしれない」と思わせる内容である。
20年以上も前だったか、万葉集の歌は古代朝鮮語で解読できるとすることを主張する本が出て、議論を巻き起こしたことがある。古代の日本語は百済語であった主張する本もある。
剣道は韓国が発祥であると世界に向け喧伝している話を聞いたことがある。韓国映画で出てくる剣道の稽古の様子は、面や稽古衣などの防具とともにわが国の剣道そっくりである。
私は明治維新後の皇国史観を肯定も否定もしない。しかし日本人が「自分は日本人である」という誇りを失ったら国は滅びると思う。深層心理学では「セルフ」という概念がある。文字どおり「セルフ」は、「自分が自分である」ということを自覚させる根本の概念である。
日本あるいは日本人という概念を一個の人に譬えれば、「セルフ」を自覚させるものは『古事記』や『日本書紀』などの歴史書に書かれている万世一系の天皇であり、個々の日本人の○○家と称される家々の宗家的存在である天皇家であり、日の丸の国旗であり、「君が代」の国歌であり、相撲や歌舞伎や狂言などの伝統芸能あり、2000年にわたり培われてきた日本人の文化や風習であり、神社・仏閣である。数え上げればきりがないほど沢山ある。
その天皇家の血筋には歴史書によれば朝鮮半島の王家の血も入っている。逆に天皇家から朝鮮の最後の王家に入った女性もいる。われわれ普通の家々でも先祖を辿って行けば朝鮮半島や中国からやってきた人々の血も混じり合っている。もともと大陸から切り離されているわが日本列島には大陸と陸続きで会った超古代から、北や南や西から人々がやってきて初めは住み分けしていたがそのうち混合し、混血し、今の日本人になったのである。
日本人は単一民族国家というよりは民族融合国家とでも称した方がよいほどである。しかも縄文人と渡来系弥生人の間で争いはなかったことが明らかになっている。大陸では支配者が変わるたびに大きな争いが起き、人民は争いのたび右往左往して逃げた。わが国にやってきた人々にはそのような人々が非常に多かった。しかし皆混血し日本人になった。7世紀に統一的な国家体制が確立されて以来このかた、日本人は仏教の思想を広め、和を以って尊しとなして今日まで歴史と文化を築いてきた。
日本人は古代からこのかたずっと伝統的に外国の先進文明・文化を取捨選択しながら吸収し、それを日本風に発展させてきた。日本の古代があたかも外国人により築かれたかの如く主張することに対しては、多くの日本人はあまり気にしないか哀れに思うだけであろう。
さてブッダ「感興のことば」第4章は38まであるが、第5章「愛するもの」に移る。
1 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば憂いは存在しない。どうして恐れることがあそうか?

0 件のコメント: