2010年4月22日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(33) (20100422)

 大分空港には10時前に着き、まもなく大分行きのバスに乗ったのであるが、別府市街地に近くなってから交通事故のためか渋滞し、このままだと何時大分駅に着くのかわからない。空港から出て初めのうちは高速道路を通ったので快適だった。座席は一番初めに乗車したので左側最前列である。前のポケットを見ると誰か前の乗客が置いたと思われる新聞がある。今日の朝日新聞である。目を通すと地球上の生物が急速に絶滅しているという記事がある。人類の活動がこの絶滅に与える影響は僅かなようであるが、それでもかなりの影響があるようである。最も大きな影響は過去の地球の歴史から考えると隕石の落下によるものである。今考えられているのは地球自体のマントルの動きによる火山噴火である。

 バスに乗って1時間に以上も経ってようやく別府に着いた。この分だと大分に着くのは11時半を過ぎるだろう。バスの中でいらいらしながら時間を過ごすのは勿体ないので、バッグからパソコンを取りだしてこれを書いた。羽田から一緒に来た級友は、福岡に住む他の級友が自分の車を用意して迎えに来て一緒に別府観光をした。

 大分に着いて従兄が運転する車で、叔母の入院先に向かう。叔母は従兄の母親で夫をビルマ戦線で失った戦争未亡人である。叔母は96歳になるが大腸がんを患っている。一見元気そうに見え、脳の活動もしっかりしているが医師はもう余命いくばくもないと言っている。

 叔母を見舞った後、従兄に送って貰って祖父母や終戦翌年の12月、33歳で乳がんで死んだ母の墓に参った。祖父母ら先祖の祀りをしてくれている従弟の家で寛ぎ、従弟の叔母に送って貰って別府のホテルで行われる同級会の送迎バスが来る場所に向かった。その場所で57年ぶりに同級生たちに会った。皆年寄りになってしまっている。

 昭和25年に卒業した同級生は377名いた。物故者は50名いる。代表の世話役が「有志の会」と名づけて集まりそうな同級生たちに声をかけ、今回50有余名が温泉宿に一泊の同級会に顔を出した。舞台で舞踊を披露する女性、フラダンスを披露する女性、歌謡吟を詠じる男性などがいた。男はコンダクターを弾きながら良寛の「時に憩う」を披露した。

 次回どうするか一部のメンバーで1時過ぎまで焼酎などを飲みながら喧々諤々議論した。結局「○○同級会」などといった名称で会則を作るなど堅苦しいことはせず、「有志の会」という名のまま声かけについては世話役に一切任せ、会費の過不足は世話役の責任で処理し、会計報告もしない形で、次回77歳の喜寿のときあたりにまた集まることになった。

 フロントに依頼して各室に9時にロビーに集合するよう連絡してもらい、世話役の代表が「解散」の挨拶をし、続いて男が世話役たちに感謝の辞を述べて、皆の拍手を受けて今回の世話役たちが次回また同級生らに呼び掛けてまた集まるようにするというストーリーにし、そのとおり事が運び、皆三々五々と別れて行った。皆もう高齢であるから、次の同級会のときには既にあの世に逝ってしまっている同級生がいるかもしれない。

2 ことばで過ちを犯さないようにまもり落ち着けよ。ことばについて、慎んでおれ。語(ことば)による悪い行いを捨てて、語(ことば)によって善行を行なえ。