2010年4月24日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(35) (20100424)

 昨日(22日)は雨だったので、畑作業はできなかった。今日は曇天であるが雨は降らないので男は一昨日植えたキュウリとゴーヤのつるを延ばす三角形のラックを作り、ネットを取り付けた。ラックは去年使ったものを組み立てたものである。つるはネットにからみついて伸びる。トマトは伸びる枝を支えることができるような五角形の構造のラックで囲った。ナスは強い風に煽られても倒れないように茎の近くに柱を立て、ひもで茎をその柱に軽く固定した。ピーマンには目印の柱を立てた。それぞれ苗は一本づつであるが、独居の母が毎朝庭に出てそれらの成長の様子を見て楽しむことができる。

 植えた苗のまわりに化成肥料をすこし撒き、ついでに庭の松や百日紅やつつじなどの樹木の根元にも多少多めに撒いておいた。肥料をやっておくと花の木は美しい花を沢山つける。松くい虫にやられそうになっていた松も庭師に処置してもらっているが、肥料を撒いておくと元気になる。独居の老母の目に庭の樹木が元気そうに見えるほうがよい。

 庭は一応こじんまりとした山水風であり小さな池もあるが、その池の水長年は抜いたままである。父が生きていた頃は、この池に錦鯉が数匹泳いでいた。親父は長男である自分にあまり期待はしていなかったようであるが、長男と言うものは無意識のうちに家系を繋いでゆかなければならないと思うのかもしれない。自分は今連綿として続いてきた父祖の地から遠く離れている土地に住んでいるが、この土地に帰って先祖の祭祀をし、子たちに繋いでゆくことは自分に課せられた義務のように思う。

 しかし、一般に男はそのような義務感を持つものであろうが、一般に女はそういう義務感など全く持つことは無いようである。近年、女の力が強くなり、夫婦別称を望む人たちも多くなってきているが、生物学的に男はオスであり女はメスである。オスは自分の子孫を残したいと思い、良い子孫を生んでくれるようなメスを求める。

 高速バスの中でこのブログを書いているうちに福岡空港に着いた。羽田行きのANAの出発時刻まで1時間余りあるので空港内のレストランで美味しい夕食を取ることにした。手荷物は早々に預け、3Fのよく行くレストランに入る。昨日の夕食は普段粗食である母のためにすき焼きを作って一緒に食べたが、また肉料理のビーフシチュウ・アンド・オムレツとドリンクバーを注文してエプロンや誘導路や滑走路が目の前に見える席につく。

 夕暮れ時である。いつも福岡空港に来て思うことがある。この地は古来大陸に近いところで独特の雰囲気がある。人々の表情は明るく、活気に満ちている。そのくせ東京や横浜で感じる喧騒さはない。空港での手荷物検査は厳重である。昔大宰府があった土地柄、外国との往来も東京や大阪などよりはるかに身近に感じる。

 自分の心はどういうわけか九州に惹かれる。受け継いできた遠い先祖の血のせいあろうか。

10 落ち着いて思慮ある人々は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。かれらはあらゆることに慎んでいる。かれらは不死の境地におもむく。そこに達したならば、悩むことがない。