2010年4月28日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(39) (20100428)

 今日(26日)はお天気が良いので久しぶりに三ッ池公園までウオーキングした。この公園は県立で園内に三つの池があり、周囲は丘陵になっている。Wikipediaによるとこの公園の生い立ちは江戸時代の18787年に三つの池が農業用ため池として整備されたことに始まる。園内には35品種の1千本を超える桜の木があり、その7割はソメイヨシノである。

 今日は平日なので公演を訪れる人々もまばらである。男は女房と二人で園内のあちこちに設置されているベンチの一つに腰をかけ、途中のコンビニで買ってきたおにぎりを食べた後、園内の道をのんびり歩いた。歩きながら普賢象や関山桜や花ミズキや山吹などの花々が咲き乱れているのを見、新緑の柳の枝が池の面に向かって垂れ下がっている風情を見、カワセミが獲物を見つけて口にくわえ飛び去る姿を追い、池の岸辺の草むらの上を1羽の白いアヒルが1羽のカルガモの後についてグアグア啼きながらよちよち歩いている情景を見、亀たちが甲羅干しをしているのを見た。

 カワセミにはそう簡単にはお目にかかることはできない。しかし今日は幸運にもカワセミにお目にかかることができた。1羽のカワセミが枝に止まってじっと池の面を見つめている。早速カワセミの姿を写真にとった。カワセミが池に飛び込む瞬間とか、獲物を口にくわえて飛ぶ姿の写真を見たことはあるが、素人がそのような写真を撮ることは非常に難しい。デジカメでそのような瞬間を撮ることは殆ど不可能である。今日、今年初めて池の面に接近している木の枝に止まっているカワセミをしばらく観察することができ、カメラに収めることが出来たことは大変幸運なことであった。女房も大満足である。

 ブッダ「感興のことば」第8章は15番で終わる。第9章「行い」に移る。

10 愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれに来ないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行いをした人々の行きつくところを知る。
18 悪いことをしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行いをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起こる。

この第9章は次の19番で終わる。「感興のことば」は第33章まである。
これまで読んでいて「来世」とか「かの世」とかいう語がしばしば出て来る。‘ブッダ’は多数現れることになっているが、実際に‘ブッダ’となられたお方は2500年来このかた、シャークア族の出身であるお釈迦様、つまり釈尊お一人だけである。釈尊は絶対不滅の霊魂の存在を否定され、その存在について論じることを禁じられた。しかし、霊魂が過去世、現世、来世の三世に輪廻転生することだけはあらゆる機会に説いて語られた。古来の仏教の師は、「現世」の今は、その人の「過去世」の行いの結果であると説いておられる。
先達の師のことばを信じず、教えを学ばない者は大変愚かな者であると、私は固く思う。