2010年4月5日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(16) (20100405)

 ある本を読んで愛と憎しみについて考えてみた。愛も憎しみもその感情の本は同じではないかと思う。それは『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によれば、「渇愛」、サンスクリット語で「タンハー」というものであり、渇者が水を求めるような激しい欲求である。「認識によって苦楽等の感受が生ずると、苦受のものに対しては、これを憎み避けようとする強い欲求を生じ、楽受を与えるものに対してはこれを愛し求めようとする熱望を生じる。これらの強い欲求や熱望が愛である。」とある。

 インターネットで調べてみた。「第67 老年学公開講座  脳内物質ドーパミンのはたらき」(財団法人東京都老人総合研究所自律神経部門研究室長 青崎敏彦)が見つかった。そのほか、ドーパミンに関する情報が幾つか公開されている。

 動物は、「快」「不快」の刺激によって訓練される。あらゆる生き物は快い刺激がある方に向かって動き、不快な刺激がある方を避けようとする。人間でも同じである。快い刺激があると脳内でドーパミンが放出され、快感となるらしい。

 人は、歩んできた人生で学んだり経験したりして学習してきたことを通じて、何が「快」であり何が「不快」でるかを無意識に知っていて行動するから、動物たちとは少し違う。しかし、動物たちも人間に訓練されて学習し、「快」が得られることをする。

 渇愛は人間特有の行動の大本である。男女の間の愛に関する言動は、彼または彼女のそれまでの学習に左右される。自制心が強く働く人は、自らの渇愛を抑制することができる。

 一般に男性は社会とのかかわりが女性よりも大きい。その分、男性の心的世界は女性のそれよりも広い。男性の心的世界にはいろいろな女性が存在している。しかし女性の心的世界の中では彼だけが存在し、その他の男性は存在していない。男性の目が外に向いていることが相手の女性にとって不満である。彼女は彼の心的世界のすべてを独占したいと無意識に願望している。男女の間の諍いの根本原因はそこにあると思う。

 男女の争いでは、男性は激しく不満を訴える相手の女性をそれ以上怒らせないように心配りをするが、女性は相手のそのような心配りを理解しようともせず、言いたいことを徹底的に言ってしまう。そしてようやく自分の感情が収まる。寅さんではないが、「男はつらいよ」である。寅さんは放浪の旅をして自らの心を癒そうとし、傷つく。

 夫婦の間では、夫は外で疲れたときは、その疲れを家の中に持ち込まないようにするのが一番良い。帰宅前に何処か赤ちょうちんで一杯やり、上機嫌で帰って来るのが一番よい。家の中にいる場合でも、夫は自分の部屋から出て居間に行くときは、先ず自分のほっぺたを叩き、口を横に開いて何度も作り笑顔をつくり、気分を切り替えて上機嫌なふりをして顔を出すようにするのが良い。それがストレスならば、部屋の中にいつもウイスキーのボトルを置いておき、一杯ひっかけて出て行くようにするのがよい。

14 欲望によっては満足することがないから、明らかな智慧をもって満足する方が勝(すぐ)れている。明らかな智慧をもって満足した人を、愛欲が支配することはできない。