2010年11月9日火曜日

竹馬の友(20101109)

  男はかつて亡父がしばしば乗っていた久大線を特急列車「ゆふ」号に乗ってで大分に向かっている。亡父がこの線路の列車に乗っていた頃、久大線の列車がジーゼル化されるまでの間、蒸気機関車が客車を牽引していた。当時、豊後森駅には機関区があり、扇状に蒸気機関車を入れる建物が活躍していた。現在その建物はガラス窓も割れて廃屋となり、歴史的遺跡として保存されている。

  車窓から見える風景は美しい。ところどころ紅葉になっている。あと1週間もすれば一層美しくなるだろう。大分に到着し町に出て手土産にバウムクーヘンを買った。今日(7日)は竹馬の友だちに会う。

    そのうちの一人は今年になって体調を崩し、毎日点滴を受けている。大腸内に大きなポリープがあり、入院して手術しなければならないという。それだけならまだいいが、彼はちょっとした動作でも息が上がるという。顔色は生彩を欠いている。細君は同級生である。中学時代同級生だった夫の健康を心配していて、元気がない。

  彼は丘陵の斜面を利用して大規模に自然放牧の養鶏場を経営している。その主が病に倒れようとしている。細君も同じ73歳、先行きの不安はぬぐえない。彼と細君は日中その牧場で仕事をし、夜は山を下って親から継いだ家で過ごす。今では見渡す限り住宅街になっているが、男が子供のころ見渡す限り一面の田圃の向こうに集落があり、彼の家はその集落の中にあった。

  男は彼の牧場にもう一人の竹馬の友が運転する軽自動車で一緒に行った。3人の竹馬の友はそれぞれ長男であり、その父親同士も長男で同級生だった。親子2代同級生同士で、子供時代お互いの家を行き来し、泊ったりしていた。彼の細君と老人とは幼馴染である。彼女は男の家では「新宅」と呼んでいた家の末娘であった。男と彼女とは数世代前の血がつながっている。子供の頃、二人小川で海老獲りをしていた。男は遊びのつもりであったが彼女は「あれは食料にするためだった」と言う。

    60数年前の思い出話で時間の経つのも忘れるほどであった。その話の中で、彼は男の祖父が仲間と協力して進駐軍から貰い受けた網など廃材を利用して、4人が通った小学校の校庭に野球用のバックネットを作ったという話をしてくれた。男には初耳であった。と言うより、未来にしか目を向けていなかった男は祖父がそのような善いことをしたことに無関心であったので記憶していないのだと思う。

     男はそこに連れて行ってくれたもう一人の竹馬の友とともに、彼と彼の細君を励ました。これが最後かもしれないと思い、沢山写真を撮った。笑顔を作らせ写真のでき具合を確かめながら何度もシャッターを切った。男はその中から、できるだけ明るい、楽しい写真をプリントし,皆に送ってあげようと思う。

    彼と彼の細君に見送られ、その牧場を後にし、男は従弟の家に向かった。従弟の家の前で送ってくれたもう一人の竹馬の友と別れ、従弟の家で夕食など呼ばれながら歓談した。