2010年11月25日木曜日

鎌倉散策 (20101125)

  今日(24日)は良い天気である。男は女房と久しぶりに鎌倉で遊んだ。北鎌倉の駅を降りて先ず円覚寺に行き、入り口で色づいた紅葉を愛でた。最も美しい紅葉に出会うにはまだ少し早い。あと1週間経てばさらに美しいだろうと思う。

  次に東慶寺に行った。入口に雪景色の中で撮った梅の木々の写真が飾ってあった。門をくぐると小路の両側に表面がごつごつの険しい肌を見せている幹と枝だけの梅の木々が幾つかの柱に支えられて痛々しく立っている。その下に珍しく‘りんどう’を見た。女房もこの寺に良く訪れるが、‘りんどう’は初めて見たという。色づいた紅葉もあった。

    男は西郷南洲(隆盛)の作詞『天意を識(し)る』の中の句を思い出し、吟詠を口ずさんだ。枝だけの梅の木と色づいた紅葉、それは「雪に耐えて梅花麗しく、霜を経て楓葉丹(あか)し」という部分である。紅葉は気温の差が激しい時期に木々の葉がストレスを受けて色づくのである。霜に会わないまでも夜の低い気温と日中の温かい太陽で楓の葉は赤くなる。そして冬になり雪に耐えて梅の花が麗しく咲く。

    男は女房がこの寺で十二分楽しむように思って決して先を急ぐこともなく、女房のペースに合わせて時間を過ごした。お互いデジタルカメラを手にしてそれぞれ好き好きに被写体にレンズを向けてシャッターを切っている。女房はブルーベリーかラズベリーか知らないが、紫色に色づきつつある何かの丸い実がなっているものを見つけ、身体を地面につけるようにしてその写真を撮っている。通りがかりの女性もその実に興味があって「珍しいですよね」と会話を交わしている。

    東慶寺を出て明月院に行った。其処は北条時宗の父・時頼の墓所があるところである。明月院の境内に野鳥のための餌台が造られていて、そこに人が近づいても野鳥たちが多少警戒しながら餌を食べにやってくる。そこにカメラを構えていて、野鳥がやってきたとき連続写真を撮った。家に帰ってテレビに映してその野鳥の映像を楽しんだ。

    時宗の廟は円覚寺にある。時宗はモンゴル来襲という国難のとき、今でいう内閣総理大臣に相当する役職にあった。役職名は執権である。当時の時宗の官位は正五位下相模守というものであった。時宗はモンゴル人が皇帝となった元(当時の中国)が圧倒的な国力を背景として我が国に2度にわたり侵攻して来たとき、鎌倉の武士団や九州の武士団を指揮してこれを防いだ。その功績を明治政府は評価して天皇に奏上し、時宗は天皇から明治37年(1904年)に従一位の官位を追贈されている。

    男は以前、廟の入り口にいた係の女性が何も注意しなかったし、自分も何も考えずに靴を脱いで時宗の廟所に上がり、親しくお参りしたことがあった。本来なら、一般の人は其処まで上がってはいけなかったのだが、其の時はつい知らず上がってしまった。

    明月院を出て建長寺の脇を通り、トンネル状のアーチを抜けて鶴岡八幡宮に向かった。昼食のためのレストランや喫茶店などはこのアーチを抜けたところにいろいろ良さそうな店がある。その近くに鎌倉近代美術館がある。

    鶴岡八幡宮の大銀杏の木は暴風で倒れた後根の部分から新しい生命が生い茂っている。平家池の方は紅葉が綺麗であった。小町通りを楽しみ、帰途に就いた。