2010年11月21日日曜日

年賀状を減らすこと(20101121)

  今年の年賀状はどうしようかと考えている。去年、かなりの人に年賀状を出さなかった。今年はさらに減らそうかと考えている。

  年賀状を出さない理由を書いたはがきを出そうかと思ったが、それも止そうと思う。年賀状を出さない理由を書くぐらいなら年賀状の中で「来年から年賀状は失礼します」と書けばよい。男から年賀状が来なくなった相手はついに男に年賀状を出さなくなるか、男のことを心配して何か言ってくるか、「失礼なやつ」と怒るかの何れかであろう。

  年賀状が来るのが極端に少なくなると、少し淋しくなるかもしれない。しかしその一方で、年賀状をやり取りする人が限定され、少なくともこちらから出す年賀状の中身は濃くなる。その方が其の年賀状を貰った相手は嬉しいだろう。

  人は誰でも同じ1日が24時間しか与えられていない。その限られた時間をどのように使うか考えることが重要であると思う。例え「ご無沙汰しています」とか「お元気ですか」とか印刷された年賀状に直筆で一言添えられていても、そのような年賀状は根本的に虚礼である。虚礼は廃止し、真心のこもった礼を尽くすべきである。

  年賀状を出さないということは、一時的に相手に対して礼を欠くことになる。何年間も年賀状が来ないということで心配してくれる人もいるだろうから、一応「かくかくしかじかのため、年賀状を出さないことにしました」と連絡するのが良いのかもしれない。

  売れっ子作家などは公に刊行する紙面上でなにか言い訳を書いているのを見たことがある。男がかつて弟子であった詩吟の先生は、毎年1000枚近くの年賀状を出しているが、その年賀状には文章は無く、自らデザインした文字が書かれている。主だった相手には自ら筆をとって書いた文字、その他大勢にはその紙面をカラーコピーしたものを送っている。しかしあて名書きは印刷ではなく自筆である。数が多いので差出人名はゴム印である。男などせいぜい数百枚であり、それも相手からは印刷物が多いが、その詩吟の先生のように1000枚も出すとなると大変である。費用も馬鹿にならない。

  男はあと生きてせいぜい10数年程度だろう。自分が「あの世」に逝ったらそのとたんに縁が切れる相手と、ある意味で虚礼的に年賀状のやり取りをするのはあほらしいことである。そういう意味で、自分が恩を受けた人、自分にとって重要な人、親しい人などごく限られた人に対してだけ、年賀状を出すようにすべきである。

  昨日は先日叔父の葬式で帰省したとき摂った写真や竹馬の友と会ったとき摂った写真を印刷した。相当な量になった。それを今日(20日)それぞれに送ってあげようと思ったが一日中雑事があって、それは明日送ることにした。いろいろ雑事をこなしている中に夜になってしまった。女房が風呂の準備をしてくれている。風呂に入って一息入れて、今夜ははやばやとベッドに入って読書でもしようと思う。

  雑事の一つに自分の部屋の整理や掃除をしていたら以前使っていた水彩画を描く道具を入れてある鞄に目が止まった。男は時間を作って水彩画を描きたいと思った。時間は誰にも同じ24時間、これからは中身の薄い年賀状のやり取りをしないことも含め、余計な世事をなるべく作らないようしにしなければと思う。