2010年11月13日土曜日

黄砂来襲 (20101113)


  昨日(11日)は夜、風が強く吹き、少し雷雨もあった。男は「子供部屋」を自分の部屋とし、そこでインターネットもできるように配線している。机は無いので小さな茶卓を台にし、その上にパソコンとプリンターと蛍光灯スタンドを置いて座イスに座って作業をしている。今回諸工事があってちょっと長めにこの家に滞在しているが、これは将来さらに長く滞在しなければならなくなるための自己訓練でもある。宇宙飛行士が宇宙で暮らすために訓練しているようなものである。一人の年寄りを看るため、一般には嫁一人で看たり娘一人で看たりして負担が大きい。それを複数の者が交代で看るならば負担は分散される。男は女房の負担をできるだけ軽くしてやりたいと思って行動している。

  男は25日に横浜に帰るつもりでいたが、長居するとあらぬ誤解を受けるかもしれないし、老母(継母)の自立独居のためにもよくないと判断した。そこで今日は老母に「16日に横浜に帰る」と言った。今日は老母にヘルパー任せの入浴ではなく、湯船に自分で湯を入れる、入浴後は浴槽の排水栓を抜く、予め更衣室の暖房を付けるなど手順を「やってみせ、やらせて」みた。これはあと2回、明日と明後日実地訓練を行うことにする。

    老母はかつて女房が時々手伝いに帰っていたころ、まだ70代で何でも自分でやっていた。がんを患って初めは手術で入院、1年後抗がん剤治療で入院し、その後第二腰椎を圧迫骨折し、加齢とともに自立度が低下してしまった。たった1時間しかないのにヘルパーはこれまで大変な負担を強いられていたと思う。今後は自分でできることは自分でやり、ヘルパーの時間を浮かし、その分良いおかずを作ってもらうようにした方が良い。そのことを老母に理解してもらった。上記のような訓練は男だからできることである。

  老母は15日月曜日、デイサービスに行く。その夕方、ボランティア団体から弁当が届けられる。それは老母がデイサービスから帰ってくる時刻より前になる。民生委員のIさんが弁当を一旦自宅に持ち帰り、老母がデイサービスから戻ってきたらわざわざ届けてくれる手筈になっていた。しかし、それはIさんに申し訳ない。男はIさんに自分が弁当を受け取るから予定通り届けてくれるように伝えることにした。

  今日は大量の黄砂が飛んできて山など霞がかかっているようにぼんやりとしか見えない状況である。人や動物の肺には黄砂で汚れた空気が入り込んでいるのだろう。女房が男のこと心配してくれている。横浜には明日黄砂が来襲するという。女房は外出しなくてもすむようにいろいろ準備したそうである。横浜の家には空気清浄機があるが、ここにはそんなものない。「俺は大丈夫だよ」と言っておいた。しかし空気の悪さは感じる。

  女房と長々携帯電話で話す。老母はすでに自分の部屋で寝入っている。朝7時前には起きてくるだろう。男は自分も早く就寝しなくてはと思う。老母を看るということは男も女房も自分の自由が利かないということである。男は老母がわが家のため大きな貢献をしてくれたことに、一族の長として感謝している。だから男は老母が後何年生きるかわからないが、最期まで幸せな気持ちで過ごしてもらいたいと思っているのである。