2010年11月19日金曜日

「行動」は「環境」と「刺激」の関数である(20101119)

  人の行動を方程式にすると、「行動」は「環境」と「刺激」の関数である。人に限らず生き物は「快」を選び、「不快」を避けようとする。複雑に見える人の行動も煎じ詰めればすこぶる単純である。輪廻転生を認める仏教的自覚が無ければ人間は動物と同じである。

  勉強の嫌いな者を無理やり勉強させても無駄である。その者に好きなことをやらせれば喜んでするだろう。しかし幾ら好きなことでも社会的規範の範囲内でなければならない。社会的規範は人に限らず猿やライオンや犬などある程度知能がある動物の社会にもある。

  裁判員裁判で死刑の判決を受けた者は裁判官席に向かって頭をたれ「ありがとうございました」と言った。二人を殺した、それも利権を狙い残虐な方法で命を奪うというやり方に対して裁判員たちも極刑はやむなしという判断をしたのである。

  その人は人を殺すとき正気ではなく、殺したあと正気になった。弁護士は情状酌量を求めたが裁判長は「控訴をお勧めします」と異例の言葉を付け加えた。人を殺すと言う非道な行動の原動力は何だろうか?男は遺伝子にその要素の一つがあると考える。

  2010年4月8日付け記事、ブッダ『感興のことば』を学ぶ(19) (20100408)に書いたが、オランダの遺伝学者ハン・ブルナー博士はある家系について調査した結果、「MAOA(モアアミン酸化酵素A)」というタンパク質を全く作れない男性は全員が攻撃的な性格であったという。今回死刑の判決を受けた男性は遺伝子に異常がありMAOAを作ることが出来ないタイプなのかもしれない。人口の移動で遺伝子は拡散し、複雑性は年々増加してゆく。

  遺伝子的に犯罪を起こす可能性があっても環境に恵まれ、良い刺激を受け、社会的規範を守ることが「快」であるという経験が重なれば、生涯罪を犯すことなく無事に生き抜くことができるのかもしれない。しかし男はその確率は高くないだろうと思っている。

  ところで女房は自分の部屋を放送大学の勉学に身を入れやすい環境にすることを望んだ。そこで男は今日一日がかりでその環境づくりの作業を行った。居間に置いていてそこでパソコンを扱うことができるようにしていた茶色の木製厚板テーブルのコンピュータラックを女房の部屋に移し、女房がそれを机代わりに使うことが出来るようにした。また内臓ハードディスクや外付けのUSBハードディスクに録画でできるLED26インチのフラットテレビを買ってきて女房の部屋で放送大学の授業を受けることができるようにした。老女房は大満足である。コンピュータラックに置いていた携帯用パソコンは男の部屋に移した。

  女房はこれまで居間のテレビで放送大学の授業を受けていた。女房は既に二つの学位を得ていて三つ目も所要の単位数に達しつつある。男も放送大学に再入学して籍を置いているが、女房が居間のテレビで勉強しているので自分の勉強にあまり身が入らなかったという「言い訳」をしていた。これからは女房が放送大学の勉強をしている時、男もテレビで授業を受けることができる。これからは真面目に勉強しようという気になった。

  人は頭を使えば、いくらでも自分のQOL(生活の質)を上げることができる。同じ一生、工夫なしに送るのと、常に工夫を凝らしながら自己を高めるようにして送るのとは大違いである。人生は限りがあり、短い。男も女房も「あの世」がそう遠くない。