2010年11月15日月曜日

 檀家の寺(20101115)

  里山の村に小さな寺がある。浄土真宗東本願寺派の寺である。男の家は本来西本願寺派であるが亡父はこの地に住み着いてその寺の檀家となり、生前その寺の住職から自分の戒名まで貰っていた。小さな寺であるから墓地はない。その代り境内に納骨堂があって、亡父はその納骨堂の中に納骨壇を確保していた。亡父の遺骨はその中に納められている。

  亡父の後妻であった老母(継母)はその寺の檀家の総代から年会費の納入を求める書類を貰っていて、会費の納入のことをしきりに気にしていた。そこで男は久しぶり亡父の納骨壇に参ってこようと思い、老母から年会費が入っている袋を預かり散歩がてらその寺まで歩いて行った。

  里山の村では藁かなにか燃やしているらしい煙が漂っている。その村に向かう一本道の両側は遠くまで広々とした田圃である。この道を歩いている人は一人しか見かけなかった。遠くでトラクターを運転して作業をしている人がいる。村に入りお寺に向かう。「モー」と牛の鳴き声がする。その方向に目をやるとお寺がある台地のすぐ下で耳たぶに札を付けている牛が3頭柵につながれている。老人は小声で「モー」と言って牛を見る。牛も男に目を向けた。男は心の中で「お前たちもそのうち(人間に)食べられるのだろうな」と思った。自分も牛肉を美味しいと思いながらたべるのであるが・・。

  お寺では誰もいない。住職が住んでいる家の玄関のベルを鳴らしても応答がない。男は折角年会費を持ってきたのに困ったなと思いながら、とりあえずわが家の納骨壇に参ることにする。納骨堂の扉を開け、靴を脱いで中に入る。正面の仏壇のローソクの明かりを灯し線香に火を付け手を合わせる。納骨壇の明かりを灯し、そこにある線香を1本取って半分にし、その線香に火をつけて我が家の納骨壇の香炉の中に置き、手を合わせる。誰も居ないので声を出して「南無阿弥陀仏」と何回か唱え、亡父に語りかける。

  ローソクの明かりを消し、納骨堂から出て寺の周りを見る。誰も居ない。鐘楼の向こうで農作業をしている一人の年老いた男性を見かけた。その方に挨拶し、ここに来た趣旨を話し、「K(亡父の名前)の息子です、横浜からちょくちょく帰ってきていますが今回はちょっと長めにこちらに来ています」と言うと、「(老母は)もうお幾つになられましたか?」と聞いてきた。その方は老人の亡父や老母のことをよく知っているようである。

    その方は「年会費は私が預かっておきましょう。私はここの住職の叔父です」という。「住職は昼から出かけています。判がないんじゃが・・」と言うので、老人は「サインでよいです。ペンは持っています」と答える。その住職の叔父にあたる人は農作業で汚れた手を洗って領収書に署名してくれた。

  亡父は総領でありながら実家から出てこの地に住み着き、この地で没した。男の亡父の墓(納骨壇)はこちら、男の先祖が代々住んだのは亡父の実家がある昔、豊後高田庄と呼ばれていた土地、そこに33歳でこの世を去った男の生母の墓もある。老人から見れば先祖の祭祀を何処で行うようにすればよいのかという問題がある。

  しかし今日この寺まで歩いて来てみて、男は「亡父が住み着いたこの地を先祖の祭祀を行う場所にすべきである」と思った。理由は、亡父は総領であったからであり、男も総領であるからである。「総領」の意味は昔と全く違うが・・。