2010年11月30日火曜日

一日一生 (20101130)


  野崎さんと言うお方が、「一日一絵」を決心されて27年間毎日絵手紙の絵を描き続けたという話がテレビで紹介されたことがあった。「継続は力なり」というが、27年間、一日も欠かさず毎日絵手紙の絵を描き続けたということは大変素晴らしいことである。野崎さんは毎日絵を描き続けて、人生を生きる上で悟ることがあったという。

  お名前は失念したが、ある学者ご夫妻で、奥様が大腸がんに冒され、ご主人は奥様との時間をできるだけ増やすように心がけ、ご夫婦で短歌の贈答を奥様の最期まで続けられたという話がテレビで紹介されていた。短歌も五七五七七の韻律にこだわらず、字余りも気にせず作られたものである。紹介されたものを書きとめていなかったのが残念であるが、奥様がいよいよ今際のとき作られた歌は印象に残っている。「この世」で息をしていることが詠われていた。「この世」という語句が印象に残っている。

  人は限りある「この世」を生きている。「この世」は限りあり、「あの世」へと続くものであるが、「この世」を粗末に生きてしまう人も多い。かく言う老人も若いころそのような粗末な生き方を全くしなかったかと自問すれば、「否」である。自ら省みれば恥多き過去であったことは確かである。自問すれば、背後霊があるとすれば、その背後霊に護られて今日まで生きてきた、実は生かされて来たことは確かである。さりとて、これからは全く恥無き歩みをするかと自問すれば、100%肯定できる程の自信はない。ただ、少しでも多く、残りの「この世」を過ちの無いように生きて行こうと決意し、努力している。

  昨夜、NHKの連続ドラマ『龍馬伝』は終了した。シナリオライターの思い入れがあったと思うが、龍馬は自分の命を国の為使いきったか、と切られて今際のとき自問していた。龍馬は新政府のメンバーの名前に自分の名前を書いていなかった。龍馬が私心あって行動しているならば切ろうと思っていた中岡慎太郎は、龍馬の無私・無欲・国の為のみに己の命を捧げてきたことを知り涙を流した。そうして中岡も龍馬を誤解していた者らに切られ、3日後に死んだ。龍馬33歳、中岡30歳の若さであった。

    西郷南洲は私心に依らず、自分が教えた私学校の生徒らに担がれ、西南戦争で敗れて49歳のとき自刃して没した。その戦争の発端は旧薩摩藩で調達し保管していた武器弾薬等を政府に略奪されたことに端を発している。その南洲が生前自分の妹の長男・市来政道に対して、人生の何たるかを教え、諭し、南洲自身の処世観を披歴した詩がある。老人はこの詩が好きである。勿論漢文であるが、詩吟で詠うときは訓読したものを詠う。今月の吟題はその作詞『天意を識る』である。

    幕末・明治初期に活躍した人たちには私心がなく、国の為命を捧げるという誠の心だけがあった。南洲は遺訓の中で、「命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にし、国家の大事業は成し得られぬなり。」と言っている。これに比べ、今の政治家たちは「命は惜しい、名誉は欲しい、叙勲されたい、金も欲しい」という輩が多い。彼らには『天意を識る』にあるような「一貫した志」がない。武士の心や大和魂がない。あるのは妾のような腐った根性だけである。彼らは政治家として国のあるべき姿・形についてまともに論じ、世論を啓発しようとする「志」も「情熱」も持ち合わせていない。どういう政治家たちがこれに該当するかは、自ら明らかである。

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