2011年1月31日月曜日

武士道(続)(20110131)

 新渡戸稲造は言う。「(武士道の)道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道のもっとも豊かな源泉となった。孔子が述べた五つの倫理的な関係、すなわち、君臣(治める者と、治められる者)、父子、夫婦、兄弟、朋友の関係は、彼の書物が中国からもたらされるはるか以前から、日本人の本能が認知していたことの確認に過ぎない。」と。

 この日本列島に住みついた人々が、農耕生活を送っている間に自然にわき出た「自然を崇拝したい、祖先を崇拝したい」という感情の行きつくところが、後に孔子が述べた上記の五つの倫理的関係と同じなのである。「天皇とは、単に夜警国家の長、あるいは文化国家のパトロン以上の存在」であり、「天皇は、その身に天の力と慈悲を帯びるとともに、地上における肉体をもった、天上の神の代理人」であると新渡戸稲造が言うとおり、天皇は孔子が述べた五つの倫理的な関係の中である。それは、われわれ日本人が無意識に認めていることなのである。

 毎年正月には天皇陛下初め皇族方が一般国民の参賀を受けられ、天皇陛下からお言葉を頂いて感激する。そのような儀式がある国は世界中どこを探しても無い。天皇は日本国民統合の象徴であり、聖なる存在であるのである。

 新渡戸稲造は、「孔子についで孟子が武士道に大きな権威を及ぼした。彼の力のこもった、ときにははなはだしく人民民主主義的な理論は、思いやりのある性質をもった人びとにはことのほか好まれた。」「この先達の言葉は武士の心の中に永遠のすみかを見出していた」と、武士は、孔子の教えだけでなく、孟子の教えも大切に思っていたと言う。

 武家の子弟が学んだ藩校などで教えられていた中国の四書五経の「四書」とは「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称である。孔子が「仁」(礼に基づく自己抑制と他者への思いやり)を理想の道徳とし、「孝悌」(父母に孝行を尽くし、よく兄に仕えて従順であること)と「忠恕」(忠実で同情心が深いこと)をその理想を達成する根拠としたのに対して、孟子は、人間の「性善説」を根拠に置き、「仁」「義」「礼」「智」の徳を発揮することを説いた。「義」とは、ものごとの道理、人間の行うべきすじみちのことである。

 今の日本では、「仁」「義」「礼」「智」「信」という五つの語は、見向きもされない。これらの五つの語は、日本人が古くから自然に実践していたことを、中国からこれらの言葉(漢語)を学んで日本の社会の中に体系づけていたものであるにもかかわらずである。日本人はこのことを忘れてしまっている。これは大変残念なことである。

戦前までは、日本人は『教育勅語』により、これら五つの語を具体的に実践してきた。それは決して間違っていたことではなかった。そのことをわれわれ日本人は、気づかねばならないと思う。

その上で、これら「仁義礼智信」のない国家に対しては、「武」をもって対処しなければならない。「戦争を防止する唯一・最良の手段は、戦争の準備を怠らないこと」である。

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