2011年3月1日火曜日

武士道(続)(20110301)

 海舟は後に独特の江戸庶民的語り口で懐旧談を語ったが、その中で次のように語っている。「私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したことはないよ。みんな逃がして、殺すべきものでも、マアマアと言って放って置いた。それは河上彦斎(尊皇攘夷志士、熊本藩士、佐久間象山を襲撃した)が教えてくれた。『あなたは、そう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜(かぼちゃ)でも茄子(なす)でも、あなたは取ってお上んなさるだろう。あいつらはそんなものです』と言った。それはヒドイ奴だったよ。しかし河上は殺されたよ。私が殺さなかったのは、無辜(むこ)を殺さなかった故かもしれんよ。刀でもひどく丈夫に結(ゆわ)えて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬといふ覚悟だった。ナニ蚤(のみ)や虱(しらみ)だと思へばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒(かゆ)いだけだ、命に関わりはしないよ」(『海舟座談』)。これが、艱難(かんなん)と誇りの燃えさかる炉の中で武士道の教育を受けた人の言葉であった。

  以上は、新渡戸稲造『武士道』の一節である。新渡戸稲造は、「武人の究極の理想は平和である」と言い、「武士道は適切な刀の使用を強調し、不当不正な使用に対しては厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。」と言い、幕末の血なまぐさい出来事がごく普通であった時代、歴史上きわめて不穏な時代を乗り越えた人物、殆どのことを彼一人で決定しうる権限を委ねられていた人物・勝海舟の言葉を紹介している。

 228日付の読売新聞朝刊に、「中国の反日 明・清代に源」と題して、京都府立大准教授・岡本隆司氏著『中国「反日」の源流』(講談社選書メチエ)について紹介されている。その記事の中に「著書によれば、日本は支配者と被支配者の距離が近く、よくも悪くも役人が農民らに深く関わる社会だった。これに対し、明・清代の中国は両者の距離が遠く、為政者は人民が納税さえすれば生きるも死ぬも勝手とつき放す」とある。さらに、著者は「国家と社会の遊離が残る中国では、統合の理念として『愛国反日』が利用される。残念ながら、反日デモはまた起こるだろう」と悲観的である、とある。

 一般大衆はメディアを通じて、日本の一般大衆は、日本人も中国人も同じであると思い、中国の行動に反感を持つ一方で、ある種の親近感を抱いているようである。影響力が強いメディア、NHKも同様、では偏向思想をもっている一部のディレクターが、そういう一般大衆の「洗脳」に余念がないように見受けられる。「洗脳」の主眼は、「自虐史観」を覚めさせないようにすることである。彼らの目標は天皇制の廃止、日米の離反、反戦思想の増幅である。彼らは理想主義者であると言えば聞こえは良いが、オカルト的に言えば怨霊に捕われており、好意的に言うなれば何か社会的なトラウマを持っている人たちである。

 今の日本に必要な人たちは、勝海舟のような「武士」の「役割」を担う人たちである。一般大衆に深く関わりながらも国の大事に心血を注ぎ、平成の開国を進めながらも「日出る処」の国の昔から放ち続けて来た「東方の光」を守ろうと考える保守的な人たちである

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